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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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(お悩み相談)あんなに可愛く駆け回っていた子猫が突然亡くなったということを目の当たりにし、死と向き合うのは改めて辛いなと実感しました。

昨日は読書会が満席になったって言って 晩酌後の追・富美男ちゃんする!って 一人で騒いでましたですね…

ぬほほほほー。
ステマ不足を感じつつも、勝手におかわりした読書会が満席になったことが素直に嬉しくて(感動してちょっと泣けました)普通に「晩酌」のように富美男ちゃんレモンサワーを飲んだ後で、祝杯として「追・富美男ちゃん」しちゃったよねー。
ご機嫌に酔って、ギンちゃんや仁くんに絡んだよね~。(幸せ♡)

今日はお昼休みの時間を利用して、サトヒちゃんと準備しているレジュメを資料に落とし込む作業をし、自画自賛ですが「なかなかいい感じ!」とワクワクしています。

昨日の興奮の余韻を一人引きずっているという誰トク情報を発信した後は(← いつもの長い前置きです)ブログへお悩む相談をいただきましたので、お返事したいと思います。

お悩み相談(はなさん)

マミコさん、いつもブログを楽しみにしてます。
もしよければアドバイスをいただけたらと思い、相談します。動物の死との向き合い方です。

私の近所は、野良猫が何匹もいて(ほんとの野良猫です笑)、10年以上顔見知りの子もいます。その中でも町のヌシのような猫が1ヶ月ほど前、子猫を4匹生みました。私の家も縄張りにして、庭や通路で子育てをしています。正直、フンをされたら困りますが、どの子もかわいくて、声をかけたり、姿を見るだけでも癒されました。

しかし、先日、その内の一匹が自宅の裏の通路で亡くなっていました。私が覗き込んでると、親猫や兄弟の子も近寄ってきて、じっと見つめていました。(いつもは威嚇したり、すぐ逃げたりします)

野良だから仕方ないと思いつつも、どうしてもそのままにしておけなくて、次の日、遺体を保健所に渡そうと、母と取りに行きました。とても狭い路地で正直できるか怖かったですが、母が協力してくれて、なんとか箱に入れることができました。遺体をタオルに包んで入れるとき、母も私も涙が止まらず、「まだ若いのに、かわいそうだね。よく頑張ったね」と声をかけてあげました。

その後、無事保健所の方に渡すことができて、ホッとしています。

ただ、あんなに可愛く駆け回っていた子猫が突然亡くなったということを目の当たりにし、自分が本当に埋葬できるのかという不安で、2日ほど眠れない日が続きました。生理痛がひどくなったり、お腹の調子が悪くなったり、体も心もだいぶショックを受けたようでした。(今は眠れて、不調もよくなりました)

私は1ヶ月の付き合いですし、自分のペットでもないのに、死と向き合うのは改めて辛いなと実感しました。このことをお話しすると、聴いた人も気分が落ち込みますし、嫌な気分にさせてしまうかもしれません。(マミコさんにも申し訳ありません) ただ、銀ちゃんや仁くんをはじめ、多くの動物を愛おしむマミコさんなら、どう考えるんだろうと、生き物が亡くなった悲しみを受け入れるアドバイスをいただけたら嬉しいです。

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はなさん、こんにちは。
お悩みをいただいてから少し時間がたってしまいましたが、はなさんのご近所にいるネコちゃんへのはなさんの優しい気持ち、温かくて素敵な気持ちですね!

動物の死への向き合い方、身近にあった命が消えてしまった事への向き合い方に、正解はないのは承知でお返事を書かせていただきます。

> 私の近所は、野良猫が何匹もいて(ほんとの野良猫です笑)、10年以上顔見知りの子もいます。その中でも町のヌシのような猫が1ヶ月ほど前、子猫を4匹生みました。

10年以上顔見知りの野良ちゃんがいるなんて凄いですね!
食べるものの確保、厳しい自然環境下での生活、車などの外的危険、ケンカや病気、ワクチンなどの病気への予防ができない事、先天的な病気など、理由は様々ですが一般的に野良猫の寿命は3~4年、長くても5年と言われるほど短命です。

> しかし、先日、その内の一匹が自宅の裏の通路で亡くなっていました。私が覗き込んでると、親猫や兄弟の子も近寄ってきて、じっと見つめていました。(いつもは威嚇したり、すぐ逃げたりします)

産まれてきた子ネコちゃんは、もしかしたら先天的な病気を持っていたかもしれませんし、栄養が上手に取れなかったり夏の暑さに勝てずに「持って生まれてきた寿命」の時間を迎えてしまったのかもしれません。
まだとても小さくて「これから」がたくさん詰まっている小さな命を見送るというのは、本当に胸がつぶれるような悲しい気持ちになりますよね。

はなさんが亡くなってしまった子猫ちゃんを覗き込んで見つめている側に親猫・兄弟ねこもやってきてじっと見つめていた時間は、ねこちゃんたちなりの「お弔い」の時間だったのかもしれませんね。
お別れだね、さよならだね、って言葉はないけれど一緒にお見送りをしていたのだろうと思います。

先日、獣医師さんでありアドラー心理学会認定カウンセラーの宿南 章さんという方が書かれている『ニャンと簡単に身につく! 心が休まる「アドラー心理学」』という本の中にこのような記載がありました。

ネコはそれぞれホーム(※)を持つだけでなく、地域のネコが一同に集まれる共有地も持っています。そこで定期的に繰り広げられているのが、「ネコの集会」です。
何をするわけでもなく集まって座っているだけなのですが、集会はうっすらとした共同体です。その集会ではお互いに傷付けない、コントロールしすぎない、尊重し合う、外部からの危険には連帯して自分たちを守るという重要な確認が行われていると思われます。
※ホーム:猫たちが守っている自分たちが生きるための必要最低限の場所

ニャンと簡単に身につく! 心が休まる「アドラー心理学」- 宿南 章さん著

この本のこの部分からも、はなさんが亡くなってしまった子猫ちゃんをのぞき込んで「亡くなっちゃったんだな…」と思っていた時間に、他のねこちゃんたちも共同体としてお別れなんだというのを確認したのだと思うんです。
言葉を発せず、ただそこで先に旅立ったねこちゃんを見つめて、さようならを言えた時間が持てた事は、ねこちゃん一家にとって大事な時間だったと思います。

> 野良だから仕方ないと思いつつも、どうしてもそのままにしておけなくて、次の日、遺体を保健所に渡そうと、母と取りに行きました。とても狭い路地で正直できるか怖かったですが、母が協力してくれて、なんとか箱に入れることができました。遺体をタオルに包んで入れるとき、母も私も涙が止まらず、「まだ若いのに、かわいそうだね。よく頑張ったね」と声をかけてあげました。

地球での時間を終えて旅立った子猫ちゃんを、柔らかなタオルに包んであげるという優しい行動と命のために涙を流してくれたことが、そのねこちゃんにとってあったかい「愛のお見送り時間」だったのではないでしょうか?
野良ちゃんの中には、お見送りもしえてもらえずに旅立つ子たちも沢山います。

「よく頑張ったね。かわいそうだね。」って涙と暖かく優しい思いをその子にかけてあげられた事、本当にあったかい気持ちを向けたもらえたんだな、って子猫ちゃんのお母さんじゃない私なのに、ありがとう、って言いたい気持ちでいっぱいです。

私の事なのですが、過去に東南アジアの島国に少し長い旅をしたことがあります。
その島では野良のねこちゃんや犬がまだ沢山いるのですが、ある朝海辺で動けなくなっている小さなワンちゃんを見つけました。

旅先だったので獣医さんなんかも分かりませんし、連れて行ってあげることもできません。
お店の情報も分からないので子犬用のフードやミルクをあげることもできません。
せめても…と、食べれれるかは分からないけれど海の家のようなところで買えたトウモロコシのお菓子とお水をその子の前に置きました。
その子は水を少しだけ飲んでくれましたが、現地の人たちからは「多分、今日はもたないし神様の所に帰るよ」と言っていました。

小さな小さな体を見て、私自身、ギンちゃんや仁くんという愛する命と暮らしているので胸の奥に鉛を飲み込んだように苦しく、何もしてあげる事の出来ない自分に対する罪悪感や無力感に泣けました。

けれど、そこで現地の人に言われた言葉は暖かいものでした。

あの子は神様の元に帰っていく前に、最後に優しくしてもらえた記憶をもって帰って行けるから幸せだね。
最後にお水をもらえて、よかったね。
あの子にしてあげられて、よかったね。

勿論、出会った命ですから助けてあげられるならば助けたかったです。
そして、助けてあげたくて手を差し伸べたとしても、助けられないことだってあることも承知していますが、どんな命であれ、自分が目にしたり身近に感じた命がその灯を消そうとしているのを見たら胸がギュッと締め付けられます。

私たち人間も、生まれてきたらいつの日か自分の命の幕を下ろします。
それと同じで、動物もどんなに祈っても助けてあげたくても、命に関してだけはどの人も同じように「無力」です。

何かしてあげることが出来たのではないだろうか?
死ぬ必要などなかったのではないか?なぜ小さな命を落とさなければならなったのか?
死を見届けて残された人は、その「命」に対する意味を一生懸命に考えます。
それは「愛があるから」だと私は思っています。
罪悪感や無力感、後悔や思慕の思いなどを持つのは「その命に愛情や意味」を感じているからこそですものね。
心が動かないものに対して、私たちは罪悪感や悲しみを感じませんから。

自分にできる事以上の事はできません。
だから、野良ちゃんを見て「幸せに育って欲しいな」「できれば安全な場所で暮らせるといいな」と見守る事しかできない場合もありますし、全ての命に手を差し伸べることはできません。

・あんなに可愛く駆け回っていた
・どの子もかわいくて、声をかけたり、姿を見るだけでも癒されていた

はなさんが直接ねこちゃんたちに何かしてあげられなかったとしても「思いを持ってもらう」って暖かいしきっとその視線はねこちゃんたちに届いていると思います。
私たちは自分が知覚できている意識である顕在意識とは別に「潜在意識」があり、潜在意識はさらに「集合的無意識」という層があり無意識下で繋がっているとも言われています。(すごくザックリした説明ですみません)
はなさんが亡くなった子猫ちゃんを覗き込んでいた時に他のねこちゃんたちもやってきて側にいて子猫ちゃんを見ていた時のように、言葉にならなくても何かを感じ取り「共鳴する」ように分かりあえる事があったように、きっと言葉にしたり直接触れたりしなくとも自分たちに届けてくれる優しい視線や笑顔、あいさつから

この人は私たちに好意を持ってくれているな

って感じていたと思います。
この地球に生まれてきて、誰かから「かわいいな」って愛をもって見てもらえたことは、子猫ちゃんにとって生まれてきてよかったな、と思える(感じられる)ものだったのではないでしょうか??

獣医さんとしてねこちゃんを見続けてきた宿南 章さんも言っているように、ねこちゃんたちは「何をするわけでもなく集まって座っているだけ」で通じているように、ちゃんと暖かい愛情を感じ取っていると私は思っています。

> 私は1ヶ月の付き合いですし、自分のペットでもないのに、死と向き合うのは改めて辛いなと実感しました。
> 生き物が亡くなった悲しみを受け入れるアドバイスをいただけたら嬉しいです。

はなさんはとっても愛情深くて優しいんですね。
飼っていなくても愛着は湧きますし、死というのは自分の中の感情を刺激し悲しみや不安、寂しさやむなしさ、自責の念などを引き出します。

死ってなんで必要なんでしょうね。私にはその答えが分かりません。

分からないし悲しいけれど、お別れを「受け入れられれなくてもいいから、悲しみに折り合いをつけて自分を取り戻していく」事が必要なんですよね。
悲しい感情は深くて、できれば早く取り除きたくなるけれど、悲しい時はいっぱい泣いていいし、誰かに慰めてもらってもいいし、感じてしまった気持ちを否定せずに「うまく悲しみを薄れさせる方法」を見つけて、自分の気持ちをなだめていくしかないんですよね。

先にも少し書きましたが、旅先で消えゆく命を前に何もできずに胸が苦しかった私に現地の人がくれた言葉のように

出来なかったこともあるけれど、その子に「最後に何かしてあげることが出来た」事は、その子のためにヨカッタ事なんだ!って思ってあげて欲しいと思っています。

亡くなってしまってから…かもしれませんが、最後の最後にお母さんと一緒にタオルに包んでもらえた事、頑張ったねって声をかけて泣いてもらえたこと、ちゃんと保健所の人に渡してもらえたこと。
少なくとも子猫ちゃんは、ちゃんと泣いてもらえたんですものね。
その子の最後に「何かしてあげることが出来た」事、温かい涙を流してもらえたこと、その子にとっての『よかったこと』『嬉しい事』ではないでしょうか?

出来なかったことや後悔の方が大きい事は承知ですが、その子が遊んでいるのを見た時に「かわいいなぁ」って目を細めて見てあげられたこと、時に声をかけてあげられたこと、そっと成長を見守っていたこと、最後に柔らかなタオルに包んであげられたこと、はなさんがその子のために届けてあげられたことがいっぱいあるのですから、その子はきっとそれを受け取って旅立った、って思ってあげられるといいですね。

悲しみはすぐに消えませんし、受け入れようとしても受け入れがたいものですから、無理に忘れようとしなくてもいいし、頑張ってその気持ちを失くそうとしなくてもいいと私は思っています。
少しずつ時間が経つことで思い出す時間が少なくなっていきますし、それは決して悪い事ではなく残されて生きていくしかない側は、そうするしかできないんですものね。

思い出さない、悲しい気持ちが和らぐ = 愛がない、忘れてしまった、ではないんですもの。
その子たちに感じてあげた愛情は、形を変えて「柔らかく優しい思い出」になっていくことができるんですものね!!

死を身近に感じると私たちの気持ちは揺れ動きますから、しばし無理をせずに泣きたいときは泣き、祈りを捧げる事で落ち着くのであれば祈りを捧げ、誰かに胸の内を吐露して寄り添ってもらい、理解してもらい、一人じゃないというのを感じる時間が大事です。
すぐにお返事ができませんでしたが、思い出してくれて悲しい気持ち・不安定に揺れる気持ちを話してくれてありがとうございます。

私は今までにいくつかのかわいい「家族」だったペットたちを見送り、別れを体験しています。
そのどれも身をちぎられるような悲しみと、もう会えない事への絶望など、うまく言葉にできない気持ちをいっぱい感じ、そして時を経て、会いたいなぁと思う事はあれど愛くるしかったクセを思い出して笑ったり、一緒にいた時間を懐かしんで話すことが出来るようになりました。
この先に何かない限りは私の方が寿命が長いので、ギンちゃんや仁くんとのお別れを経験することになると思いますし、その時に私が平常でいられるのかは分かりません。
けれどそれでも、今、目の前にいてくれる愛する命に出会えて時間を共にできている事を「感謝する」事は変わらないと思っています。
なんて言いながら、どうなるかは本当に想像つかないですけれど…

過去に愛犬がいつか旅立つ日への不安についてのお悩みをいただいた時に、私の心に染みたある獣医さんの言葉を紹介しました。

動物の寿命は人より短いです。
人より長いとそれも困るので、動物の死を看取るのは飼い主の役目です。
天寿を全うしてくれたと思います。
でもやはり、悲しい気持ちはいっぱいあります。
でも、それでいいのだと思います。
悲しい気持ちが一緒に暮らしてきた「証」なのだと思います。

はなさんも野良ちゃんたちの愛くるしさに目を細めて、その成長を見守っていたのですもの、悲しい気持ちを持つのは「それでいい」んですよね。
悲しい気持ちはその子に対する「愛着の証」だとしたら、悲しい気持ちは決して悪者ではなく暖かいものに変わります。

動物愛護家でもあり霊能者としてイギリスで動物へのヒーリングも多数行ってきたハロルド・シャープという人が書いた本である『ペットたちは死後も生きている』という本に、このような内容がありました。

動物は人間よりも霊的な存在。自分たちの能力をごく自然に使っている。部屋で目に見えないものをじっと見て、目で追っていたり、吠えたりするのもこのため。

私には霊的な能力がないので、死後の世界やスピリチュアルな話も本当なのかどうかすら分かりませんが、この本によると目に見えないものを感じられるくらい動物は霊的な能力が高いという事であれば、先にご紹介した獣医さんの「ネコの集会」の話もそうなのかな??なんて思えますし、はなさんがむける笑顔や時折かける声に「愛されている」ってちゃんと感じてくれていたのだろうと思うんです。
だから、子猫ちゃんはわずかの時間ではあっても「ちゃんとこの地球で愛を感じていけた」という意味では、悲しいばっかりではなかったって思ってあげられたらいいですね。

グダグダととりとめのないお返事になってしまいましたが、はなさんはきっと「感じ取る」力が強い人だからこそ、ねこちゃんの事をいっぱい思い・想像して心と体のバランスを崩してしまうくらい思ってあげたんだと思います。
それだけ愛情深いご自身の事をギュッと抱きしめてあげて、乱れてしまったバランスを少しずつ整えていってくださいね。
無理せずゆっくり、自分がショックを受けたことを「私って優しいな」って小さく笑ってあげられますように。

– – – – – – – – – – – – – – – – – – – – –

あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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