【ココロノマルシェ】自分の本心からの願望だと思ってたのは、エゴ?或いは検閲者という心の防衛機能なの?
今年初の「シャインマスカット実食の朝」を迎え、恭しく丸ごとひと房、テーブルにドドーンと乗っけて眺めてご機嫌注入。
JAの直売所で買った大粒シャインマスカットは、スタッフさんに教えてもらった「皮が黄色みを帯びてくる方が糖度が増す」という言葉の通り、鮮やかな黄緑から変化して少し黄色みが強く感じるものをつまんでみたら
うわぁ!お砂糖を齧っているの?!
と思うくらいに甘くてびっくり。
実際にはみずみずしさとブドウの食感なども加味されて、ジューシーな甘さなのでお砂糖のベタベタした甘さとは別物なのに、フレッシュな果物でこんなに甘いものがあるんだ!!と感動。
両手で頬っぺたを押さえて「ボーノ!」となぜかイタリアンに叫んでおきました。
朝のパンはウインナーを包んだクロワッサン。
パンもフルーツも買ってきたものをただ並べただけなのに、大好きなものが並ぶとそれだけでご機嫌になれますね。
シャインマスカットは「皮が黄色みを帯びた方が甘くなる」というのは本当だったんだ…と言う体験をしたという話をした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
はじめまして。
自分の心との向き合い方でネットで色々彷徨い、こちらのサイトに辿りつきました。
ご回答頂けるとのこと有難いです。
よろしくお願いします。
私は一年前ぐらいから色々とモヤモヤや葛藤が臨界点に達し、本当はどうしたいと思ってるのか、ノートに書き出して考えました。
そしたら、もっとストイックに頑張りたいという願望を知りそれになるべく添うように過ごしてしています。
しかしたまに糸が切れたように何も出来ない日があり、それについて色々調べたら、自分の本心からの願望だと思ってたのは、エゴ?或いは検閲者という心の防衛機能なのかもしれないとも思うようになりました。
ノートに向かい自分に問いかけ続ければ本心と繋がれると思ってたのですが…。
いつも自分にこうしろああしろと強く言ってくるのは、本心ではないのかもしれないと疑うようになってからも、毎日ノートに向き合うと出てくるのはそれらの禁欲的な欲求です。
どうすれば本心と繋がれるのでしょうか?
また本心と判断できるポイントなどはございますでしょうか?
p.s ノートの書き方は現在「モーニングノート」という手法でやっています。朝、頭に浮かぶことを自動筆記的につらつらと書き出すものです。
相談者:ドラセナさん
ドラセナさん、こんにちは。
本当はどうしたいのか?私は何をしたいのか?
モヤモヤとして答えを探すために、自分の心に向かい合ってみようと思われて、書き出すという取り組みをされている事、すてきな取り組みですね。
> 本当はどうしたいと思ってるのか、ノートに書き出して考えました。
> そしたら、もっとストイックに頑張りたいという願望を知りそれになるべく添うように過ごしてしています。
「頑張りたい」という気持ちを持っているって、素晴らしいですね!
向上心があり成長していくことに喜びを見いだせるドラセナさんは、これからもどんどん変化してくことができる「可能性」をうーんと秘めているという事ですものね。
> しかしたまに糸が切れたように何も出来ない日があり、それについて色々調べたら、自分の本心からの願望だと思ってたのは、エゴ?或いは検閲者という心の防衛機能なのかもしれないとも思うようになりました。
自分の「本音」「本心」「本当にやりたい事」を探しているのですから、頑張りたい自分が頑張りたくないと思って何もできなくなるという『矛盾』を抱えたら、これってなんなんだろう??とあれこれ思考してしまいますよね。
自分の中から湧き出てきているはずの感情が、本当は「エゴ」なのではないか?と感じているとドラセナさんが書いてくれていますが、エゴとは心理学や哲学などでは『自我』と表現され、英語では「自尊心」「自負心」などの意味を持つ言葉です。
頑張りたい!という「心の声」がドラセナさんに対して「もっと頑張れ!もっと禁欲的に!」と言うエゴの声なのだとしたら、もしかするとちゃんとしていないと私は愛されない・頑張らないと価値がない、と無意識のうちに自分を否定してしまっているものがあるのかもしれません。(あくまで「エゴだとしたら」という仮定の話です。)
また、ちゃんとしなきゃ!ちゃんとしたい!!という思いが次々湧いてくる位「ちゃんとする事」に価値を見いだしていれば、怠けたくなる気持ちや頑張れない自分を否定したくなります。
エゴとは自分で自分を責める声でもありますから、矛盾を抱えるとモヤモヤしてしまい、思考すればするほど「感じる」という事を遮断して答え探しをするので、頭がパンクしてしまいます。
エゴの声ってあまりいい意味では使いませんよね?
自分で自分を責める声だったり、変わりたいと思っているのにそれを制する邪魔な声のように使われるものですから、頑張りたいではなく「頑張らないお前はダメだ!」と頑張らせるのがエゴの声かもしれない??とドラセナさんは感じて「どっちが私の本音なの?!」と戸惑っているんですよね?
頑張るには力が必要ですし、頑張り続けるためにも「疲れたら休む」というのは生物学的に普通な事です。
筋トレなどでもストイックに追い込むことをした翌日は「成長のために休む」という時間を取ります。
その休息は「より自分を成長させるため」の休息です。
突然ですが「ゴム」って引っ張ると伸びますよね。
頑張っている時というのは力を入れてうーんとゴムを引っ張り続けている状態ですが、ゴムをずっと引っ張り続けるって疲れると思いませんか?
また、ゴムは引っ張り続けると「伸びきって」しまい、伸びきってしまったゴムはいざという時に使う事が出来ませんから、頑張り続けることもこれと同じように
いざという時に頑張れなくなる
という可能性も出てきてしまいます。
頑張り続けるだけではなく休みたくなるのは「ちょっと疲れたよーー」という心からの正常な反応なんだと思うんです。
ノートを書く時に湧き上る「頑張りたい・成長したい」という思いはきっとドラセナさんの中にある大切な成長意欲だと思いますが、頑張り過ぎるとゴムが伸びきってしまうからこそ、ちょっと休憩してまた頑張る力を蓄える必要があるよ!と自分自身が休みたくなって教えてくれているのではないでしょうか?
心について学び始めたり知識が増えると、それを使って迷ったり悩んだりしてこんがらがってしまう事があります。
「これはエゴの声なの?」
「朝起きたばかりの顕在意識がまだ強くない時間に思いつくのは本音じゃないの?」
「私の心の検閲機能が働いているとしたらそれはどういうこと?」
とあれこれと思考してしまいます。
また、必ず答えが1つである(ドラセナさんの中では「頑張りたい私」「休みたい私」のどっちか1つ)という『正解主義』に捕らわれてしまうと、心の世界について考えた時に混乱してしまいます。
人って本当にいろんな感情・いろんな顔を持ちます。
1つしかなかったら「能面」のようになってしまいます。
「頑張りたい私」も「電池が切れたように動きたくない私」も、どっちもあってOKなんです。
別にどっちかである必要もない訳ですし、人間って多面性を持つ生き物です。
また、必ず表と裏があって、表だけの人間というのは存在していません。(光と影と言っても同じ意味ですよね)
感情は波に例えられます。
波ってひとところにはとどまらず、引いたり寄せたり消えたりします。
私たちの気持ちは波のように一定ではないからこそ、頑張りたい日もあれば休みたい日もあります。
エゴなのかどうか?これが私の本音なのか?という答え探しよりも「自分がどうしていると心地よいのか」「自分が何をしていると楽しいのか」を探す方がイキイキできますし頑張れます。
頑張りたいのに休みたい…
それは「矛盾」した感情なので、これは一体??とグルグルと思考しちゃいますが、沸き上がってきている時点で『どっちもある』という事ですものね。
頑張りたい成長意欲もある!
怠け者スイッチが入って動きたくない日もある!
「それはそれ」「あれはあれ」という風に、その時々で心に見張りを立ててジャッジせずに受け入れていいんです。
禁欲的に頑張りたくて、時間を無駄にしたくない!と食事の時間を削りたくてもお腹がすけば「食べたい」という意識や欲求が強くなって休みたくない自分を邪魔しますが、それを「食事を取りたいという欲が湧くという事は、毎朝のように頑張りたいと湧き出てくる私の感情はエゴなのか?」なんて考えませんよね?
考えちゃったらただすり減って疲れちゃいます。
「お腹がすいているから食べたいと思っている私」
「寝食も忘れるくらい頑張りたいとエンジンがかかる事がある私」
「頑張りたくない、休みたいと思う日がある私」
いろんな「私」を紙に書き出してみたら、どう感じますか??
別にどれも「正解」「間違い」ではなく、ただ単に「そういう気持ちの時の私がいるんだな」って思いませんか??
朝、沸き上がってきたやりたい事というのが「本心」なのかもしれませんし、はたまたエゴがそう言わせているのかもしれませんが、それはそれ!でいいと言ってあげると心が楽になると思います。
大事なのは「今、私が何を感じているか」です。
私たちは「今」を生きていますし、感情は波のように揺れるのが当たり前で一定ではないからこそ、頑張りたい状態もそうじゃない状態を、1日の中でも行ったり来たりするのが「ごくごく当然」なんです。
私は今、何をしたいのかな?
それをすることで私が心地よいならOKだよね!
そんな風に言ってあげて、矛盾を抱えている自分でいいって言ってあげたいですね。
ドラセナさんは頑張り屋さんでストイックなのに、電池切れしてグータラする。
それは「ギャップ」ですよね。
そのギャップは人を引き付ける魅力ですし、何よりの個性です。
きっとドラセナさんは勉強家でまじめで理解力が深い聡明な女性だと思います。
だから自分の「多面性」を前にして、分析したり答えをしっかりと導こうと「思考」しているんですものね。
でも、考えるとごちゃごちゃしてしまいます。
気持ちは思考では制御できず(制御しようと努力は出来ますが)、制御できないものを前にすると答え探しをしていると戸惑ってしまいますものね。
また、人は環境だったり置かれた場所だったり状況によって、やりたい事や夢や目標が「変化」します。
本音はその時々でいっぱいある!
そして沢山の思いがある私は、可能性をたくさん持った素晴らしい私!!
そんな風に自分の中にある「いろんな私」「一つじゃない私」を受け入れてあげることが大事なのだと思っています。
> いつも自分にこうしろああしろと強く言ってくるのは、本心ではないのかもしれないと疑うようになってからも、毎日ノートに向き合うと出てくるのはそれらの禁欲的な欲求です。
「いつもこうしろああしろと強く言ってくる」という状態は = やらなきゃいけないと制されている状態ですから、この状態は楽しくないですよね。
本心と繋がりたいというのであれば、沸き上がってきた思いをノートに書き出した後でそれを書いている自分を俯瞰で見るイメージをしてあげて見てください。
それを書き出しているドラセナさんは、楽しそうでしょうか?
モーニングノートを楽しんで継続できていますか??
私たちの思考と心は平気で自分の本心を隠してしまいます。
こっちが本心かな?と思っていたら、本心はまた違っていた…なんてことはよくありますが、本心を感じたいというのは、より自分を心地よく・穏やかに・幸せに・正しく目的に合わせて生きたいと思うからですよね。
本心 = 本当の心、ですから考えるのではなく「感じる」という事が何よりも大事です。
頑張りたい私も本当の私。
頑張り屋さんなのに時々電池切れしちゃうのも本当の私。
どの私もその時々で「そう感じている」のであれば、それは本当の私です。
ドラセナさんが欲しかった答えではないかもしれませんが、答えは一つではなくいろんな考え方、いろんな見方がありますので、答えを一つだけに絞ろうとするとしんどくなってしまうので、どっちの私もOK!と自分を肯定していけるようになれるときっと心の監視が緩まって楽になれると思います。
頑張りたい、禁欲的にストイックさを求めるという事も素敵な生き方です。
ドラセナさんの中にある大事な思いはちゃんと「大切」にしながら、同じように湧き上がる反対側の「ゆるゆる」っとした生き方をする時間も大切にしてあげて、バランスを取りながらより頑張れるといいですね!
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私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。