【ココロノマルシェ】幸せ、好き、嬉しいを感じることができたら楽なのにと思います。
こんにちは。
あなたの心の痛みや悲しみの傷に優しく絆創膏を貼る「心の保健室」を目指しているマミコです。
台風による悪天候のニュースは見ていても、晴れているとあまり実感がないのですが、台風の影響があまりないはずの新潟でも、だんだんと曇り空が広がり、空の上では雨を溜めているような重たい雲が広がりだしました。
明日、私はやっと申し込めた「コロナウイルスのワクチン接種・1回目」の摂取予定日。
市役所が一番近い接種会場でしたが、予約申し込み解禁と同時にあっという間に埋まってしまい、車で30分くらいの少し離れた役場での接種を何とか予約できました。
車で移動する予定ではありますが、雨が激しいと道中が怖いので、できればひどい雨にならないで~と祈る気分です。
お天気ばかりはどうしようもないですけれど、あちこち酷い被害が出るようなことがありませんように。
少しずつ雲が増えてきた午後の窓辺で、日向ぼっこをしながら寝そべっているギンちゃんの姿をお見せした後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。
元々食べることが好きな私の妹は、美味しいものを食べたとき、又は可愛いと思った服などを買ったとき、「あーー、幸せ(ハート)」と言います。
私は、美味しいものを食べても可愛いと思ったものを買っても、幸せとは思わないんです。
どこかにある重いものを心に感じます。
また、優しい人と言われたとしても、嬉しくありません。
私は人に嫌われるのが怖くて優しいだけだからと思ってしまいます。
幸せ、好き、嬉しいを感じることができたら楽なのにと思います。
ご相談:ヨウコさん
ヨウコさん、こんにちは。
とても愛らしい妹さんがいらっしゃるんですね~。
好きな物を前にして、素直にキラキラできる人って見ていて羨ましいですよね。
> 幸せ、好き、嬉しいを感じることができたら楽なのにと思います。
こう書いてくださっていますから、毎日がなんだか平坦で盛り上がる事のない日々なのかもしれませんね。
けれど「感じられたら楽なのに」と思っている = 私も感情をいっぱい感じたい!と思っていらっしゃるんですものね。
> また、優しい人と言われたとしても、嬉しくありません。
> 私は人に嫌われるのが怖くて優しいだけだからと思ってしまいます。
人に嫌われるのが怖いという動機があったにしても、周りの人には「ヨウコさんの優しさ」がありがたいなぁ~と思える形で届いているんですよね。
ヨウコさんに救われている人、助けられた人、ヨウコさんの優しさに憧れている人もいると思います。
動機云々は置いておいて、ヨウコさんが「優しさを届ける力がある」ということだけは、受け取ってもらえたらいいなぁ~と思います。
とはいえ、「努力」を楽しんでやれていないと、褒めてもらえても素直には受け取れないんですよね。
だって、楽しんでやっている訳ではなく、嫌われないようにという「ネガティブな動機」のために、しんどいなぁ~と思って頑張っているんですものね。
だとしたら「優しい」と評価されても、だって私がこんなにしんどい思いをして優しくしてるんだから!!と、心は反発してしまいます。
ヨウコさんは「嫌われるのが怖くて優しくしている」と書いてくれていますが、どうして優しくないと嫌われると思ってしまったのでしょうか??
他にもヨウコさんを縛る「●●じゃないと嫌われる」「●●じゃないと価値がない」という思いはありませんか??
私たちは成長してく過程で、色んな体験をします。
嬉しい事もあれば、痛みを伴う傷付く体験、誰かのちょっとした言動や表現に胸がえぐれて素直に笑えなくなったり、頑張らないと認めてもらえないと思い込んだり、同じ体験をしたとしても受け取り方や感じ方は人によって全然違います。
そして、自分が傷付けば傷付く分だけ「自分を守るため」に、たくさんの『自分ルール』(観念ともいいます)を持つようになります。
先ほど出てきて「嫌われないようにするために優しくなければいけない」というのも、ヨウコさんの中にあるルールの一つです。
だって、世の中には「あんまり優しくは見えないんだけど…」という人であっても、周りの人から愛されている人も沢山いますよね??
けれど、ヨウコさんの中では「優しくない私は嫌われる」だから「自分を犠牲にしたり我慢させたりしても、人に優しくあろう」と努力し、与え続けているんですものね。
ヨウコさんの妹さんは「おいしいもの・かわいいお洋服」といったものが好きで、それに幸せな気持ちを感じることが出来ていますが、ヨウコさんは妹さんほどではなかったにせよ、なんか楽しい…かな?なんか嬉しい…かな?これは割と好き…かも??というようなものはあるのでしょうか??
ものすごく心が躍る!というようなものじゃなくていいんです。
ヨウコさんにとって「これは大事だ」と思うものはありますか??
考えてみて、もしも「大事だと思える」「嬉しいと感じられる」ものがあれば、ぜひそれを自分に今以上に与えてあげる事をしてみてください。
そして、考えてみたけれど今一つピンとこない…のだとしたら、ヨウコさんの日常は色彩を失い、どこか心にぽっかり穴が開いたような虚しさも感じているかもしれません。
私たち人間は「喜怒哀楽」という様々な感情を感じることを楽しむ生き物です。
喜びはもちろんですが、うまく行かない事にイライラしたり、別れに涙したり、趣味を楽しんだりと、ネガティブもポジティブも全部を「感じたい」と思えるスイッチがちゃんと内蔵されています。
けれど、気持ちを押し込めたり、正しさを求めて自分を律してしまうと、だんだんと感情を押さえつけて感じられなくなって行ってしまいます。
そうせざるを得なくて、感情を抑えることを覚えていくんです。
突然ですが、ヨウコさんは「今何をしたいですか?」「やりたい事はなんですか?」と聞かれたら、どんな答えが浮かびますか??
やりたい事、ありますか??
やりたい事が思いつかないのではないでしょうか?
または、思いつたにしてもストップさせるような気持ちが湧いて来たりしませんか?
幸せや喜びは、自分のやりたい事や好きな事の延長に感じやすいものです。
もし「やりたい事」を禁止していたり、やりたい事が思いつかないくらい自分を抑えていたら、どうしたって「喜びや幸せ」を感じるのは難しくなっちゃいます。
では、どうしてやりたい事が分からなくなっちゃうんでしょう…
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「みんなと同じように頑張らないとダメじゃない!」「人に迷惑をかけちゃいけないのよ」「そんなことは止めておきなさい」「役に立たない事は後にしなさい」などなど、親や学校生活の中で
自分の気持ちよりも人に合わせるべき
自分のやりたい事よりも優先すべきことがある
と教えられます。
親にとって悪気はなかったにしても「お姉ちゃんなんだから」と我慢を強いられたり、お手本になるように努力させられたこともあったかもしれません。
自分よりも周りを優先したり、人に合わせて自分が浮かないように…と学校教育では「みんなと一緒」を強いられることも沢山あります。
そして、純粋さと真面目さを持つ人ほど、親や学校の先生の言葉を真剣に受け止めて信じて「誰かの為」に生きるようになっていきます。
自分という大切な存在をできるだけ目立たないように、飛び出さないように、ちゃんとできるように、嫌われないようにと懸命に押さえつけて、自分の個性を飲み込みづつけます。
だから、大人になって「やりたい事はないの?」「趣味は?」「好きなものは?」と聞かれても、分からなくなるのは当然です。
だって、誰かに合わせて・誰かのために生きることを頑張ってきたんですもの。
ヨウコさんの落ち度でもなんでもなく、そうせざるを得ない環境の中で、素直に健気に、人の為になることを続けて自分を我慢させてきたんですものね。
また、誰かのために生きる、周りの人に対する敏感な気持ちを持つ人は、周りの人の気持ちは一生懸命考えるのに、自分の気持ちには目を向けてあげらません。
ヨウコさんが書いてくれたように、嫌われないように(周りに嫌な思いをさせないように)人を気遣い優しく振舞っているのに、頑張っても頑張っても、自分で「これでいいんだ」とは思えませんし、評価も受け取れません。
頑張れば頑張るほど、心の穴は大きくなり、虚しさだけが膨らんでいきます。
周りから見ておかしいと思われないように。
周りの人から嫌われないように。
側にいる人たちを悲しませたりしないように。
初めのうちは「こうすべき」という親や学校の教えに真っすぐに従い、褒めてもらえる嬉しい経験があったのだと思います。
そしてそれを守る事が愛されることだと純粋に思い、周りの人を大切に、喜ばせたいという思いから、知らずに「自分を演じる」時間が多くなっていきます。
そして自分に気持ちを殺して演じているうちに、周りの人を上手に騙せるようになり、どれが本当に自分かすら自分で分からなくなっていきます。
周りの人を騙すだけではなく、そのうちに自分の事すら上手に騙せるようになり、そうなってしまうと自分の「好き」「楽しい」「何をやりたいのか?」「夢は?」というものが分からなくなっちゃうんです。
そして、自分や周りを上手に騙す技を覚える人と言うのは、心の奥にこんな気持ちを持っています。
私の事を褒めて欲しいの。ただたた認めてもらいたい。
私の味方だって言って。私から離れて行かないで。
安全で安心できる場所が欲しい。お願い、大丈夫って言って。
私はここにしか生きる場所がないから、嫌いにならないで。
受け入れて欲しい、嫌わないで欲しい、この気持ちが大きければ大きいほど、人から背を向けられたりNOと言われるのが怖くて、本音を出してもいい場所でも自分を出せずに気持ちを隠し、「嫌われないであろう自分」を演じてしまいます。
ヨウコさん、肩の力を抜いてギューーッとご自身を両腕で包むようにして深呼吸してみてください。
数回深呼吸したら、ご自身を包んでいる両手を優しく上下させてヨウコさんを柔らかくさすってあげながら、こんな言葉を自分にかけてあげてください。
よく頑張ってきたね。
自分をなくしてまで、本当に、本当に、私は頑張って来たね。
懸命に、与えてきたね。
初めのうちは、何も感じないかもしれません。
けれど良かったら、ヨウコさんが寝る前やお風呂などでふわーーっと緩んでいる時に、じっくりと自分を味わうように、優しく声をかけてあげてください。
感情を抑え込んで、嫌われないように・正しくあらねばという言いつけを守って、自分を犠牲にしてきたんです。
そんな過去の自分に、ゆっくり時間をかけて「ありがとう」「お疲れ様」を届けてあげましょう。
いつか少しずつ、心がほどけた時にじんわりと言葉がヨウコさんの心の奥に響く時が来ると思います。
ヨウコさんは自分を生きていいんです。
かけがえのない大切な存在ですから、自分の気持ちや本音を大事にしてもいいんです。
まずは「私は私の気持ちを感じていいし、自分を取り戻していい」と許可しましょう。
許可してあげないと、行動ができませんから。
では、ここからは「自分を取り戻し、やりたい事や喜び・幸せ」を感じて行くために出来ることをご紹介します!
1)「やりたくない事」を見つける
好きな事・やりたい事と言われて見つけられないならば、その反対の「嫌いな事・やりたくない事」を紙に書き出したり、スマートフォンのメモにリストアップしてみてください。
やりたくない事ってワサワサと出てきませんか??
そして、その中で「やる事をやめても大丈夫そうなものは何か?」をチェックしてみましょう。
簡単にやめられそうなもの、これをやらなくても大して迷惑がかからないだろうな、と思えるヨウコさんにとってやめることが負担にならなそうなものから
実際にやめてみましょう。
私たちの体も心も、やれる事の上限やキャパがあります。
やりたい事が見つからない時は、実は「やりたくない事」に優先順位が占められてしまい、やりたい事をやる余力が残っていないことが多くあります。
それにやりたくない事をやっているって、当たり前ですが「楽しさ・喜び・幸せ」を感じる作業じゃありませんものね。
やりたくない事を手放していく、やめていくことで心が軽くなっていきます。
私たちは誰しもが「自分をちゃんと表現したい」という欲求を持っていますが、それを押さえつけてやりたくないことばかりやっていたら、ストレスばかり溜まり、幸せを感じるなんてできません。
やりたくない事を減らしていき、まずは重たい気持ちを軽くしていくことをしてみてくださいね。
2)「嫌いじゃないし、これでいいか…」ではなく「私はこれが好きだから、コレ」という練習をする
何かを選ぶ・決める時に「まぁ、これでいいか」と選んでも、心は満たされません。
なぜならそれは「どうでもいいもの」を自分に与えているから。
ちょっと想像してい見て欲しいのですが、自分の部屋にガラクタが散らばっていたら「ここち良さ」を感じられると思いますか?
なんだかいこごちは悪いし、散らかっていてイライラしますよね。
自分が何か物事を決めたり選んだりする時に「嫌じゃないからこれでもいいか…」というものを与えるのは、自分にガラクタを押し付けているのと同じで、自分の毎日がだんだんとやる気を奪われて行きます。
ヨウコさんがコンビニでお水を買うならば、お店にあるお水の中で「この中で一番飲みたいものはドレ?」と自分に聞いてあげて、コレ!と思えたものを買ってあげましょう。
他にも、仕事を頑張った自分に甘いものをご褒美する…としたときに、シュークリームがいいのかプリンがいいのか、はたまた色とりどりのマカロンや、甘いチョコレイトがいいのか、その時々で食べたいものはきっと違うと思いますから「今日の私は何が一番食べたい?」と聞いてあげて、それを自分に与える練習をしてきましょう。
これもきっと、最初のうちは心の奥から「これがいい」と出てこないと思いますが、少しでもピンと来たものを与えてあげて、「教えてくれてありがとう!」と自分に伝えてあげてください。
繰り返しやっていると、少しずつ「コレがいい」という声が出やすくなります。
そして、好きと言うものを当たり前に受け取れるようになるってくると満たされますから、自然と喜びが沸き上がり、心地よさを感じやすくなります。
3)考えないで感じる時間を持つ
嬉しい・楽しい・幸せって「考える」ものではなく「感じる」ものです。
なので、感じるのが苦手…と言う時は往々にして「考え過ぎている」状態だったりもします。
常に頭の中であれこれ感えて、自分を虐めてしまっていませんか??
当然ですが、幸せって自分が心地よい時に感じるものですから、思考の中で「自分虐め」していたら、幸せを感じるのは困難です。
なので、1日の中で5分くらいでいいので「ただ感じる時間」というのを意識的に取ってみましょう。
アロマの香りをただボーーッと嗅いで、感じてみる。
ただ空を眺めて、どんな風に見えるのかを感じてみる。
ボウルにお水を張って手を浸けてみて、ひんやりとした感覚を感じてみる。
洗濯したてのベッドリネン類に包まって、その肌触りや清潔さを感じてみる。
お花屋さんで自分のためのお花を買って、それを飾って観察してみる。
ぬいぐるみやクッションをギューーッと抱きしめて、柔らかさや安心感を感じてみる。
ペットがいれば、抱きしめてぬくもりをただ感じるのもオススメです!
頭の中のお喋りで「理解しよう」とするのではなく、今目の前にあるものを観察して「どんな風に感じるのか?」を味わってみてください。
感じることをちょっとずつ許可していけるようになると、あったかくて嬉しいな、甘くておいしくて満たされるな、あぁ~極楽!ってお風呂で思わず声が出ちゃったな…などと、心地よさを感じて行けるようになります。
勿論、悲しい映画や本、嫌な事があった時にも「それを思いっきり感じていい」と感じる練習として、味わってみてください。
ネガティブな感情も大事な感情です。
残念ながら、感情はどれか一部分だけを感じないようにすることが出来ず、ネガティブさを押さえつけると、同時にポジティブな感情も分からなくなっていきます。
なんだかイライラする、モヤモヤする…というのは、避けたい感情ですが、そんな時こそ「チャンス!!私、感情を感じてる!!!これはいい兆候だぞ」と自分に言ってあげてくださいね。
* * *
嫌われないようにという大前提があったにせよ、人に優しくできるのは才能です。
そして、嫌われないようにと努力し続けるくらい、自分を明け渡して人のために頑張って生きてきたのだと思います。
自分の感情を我慢させて、いっぱいいっぱい、人のためにしてきたんですよね。
その努力は本当にしんどいものだったと思います。
もっと無邪気に、もっと自由にやれたら良かったのに、愛されるために素直にたくさんの「ルール」を守ってきたんですものね。
人のために与える事、周りのために貢献する事、困っている人に手を差し伸べることはとても素晴らしい事です。
それと同じくらい、ううん、それ以上にヨウコさんがヨウコさん自身に「与え」「助け」「手を差し伸べて」あげられるようになれますように。
ヨウコさんにとって、ヨウコさんより大事な人はいません。
自分を犠牲にして差し出し、周りを助ける役回りで自分を演じてしまうと、どうしても「他者からの評価」が必要になり、自分で自分を認めてあげることが出来なくなります。
そしてどんどん自分を騙して、自分の事が分からなくなります。
誰かに嫌われないことが、誰かに必要とされることが「価値」だと思ってしまうと、人の目が評価基準になるため、自分の事を自分で認めてあげられなくなり、気持ちが分からなくなります。
そうやって懸命に自分を与える生き方をしてきたことを「お疲れ様」と労って、自分を大事に慈しんであげて、これからは自分を取り戻して生きていい!と、ヨウコさんに対して許可を出してあげ続けられますように。
実は、私もヨウコさんと同じように「自分の好き・楽しい」を感じることが出来なくなっていた時期があります。
しかも、たった数年前まで、心が凍ったような時間を過ごしていました。
先に紹介した「自分の好きを取り戻す練習」の他に、どんな自分も否定しないように、自分にたくさん優しい言葉をかけ、自分が泣いていたら「今まで頑張らせてゴメンね」「今まで頑張ってきてくれてありがとう」を届け続けていたら、少しずつ「好きな物」が分かるようになり、今ではすっかり幸せを感じるセンサーが磨き上げられ、日常を楽しめるようになりました。
感じられなくなるまで頑張って来た、頑張り屋さんのヨウコさんですもの。
今度はその頑張る力を、自分を幸せにするために使う番ですね!!
ヨウコさんが笑顔で心地よく、伸びやかにヨウコさんの幸せを感じられる日が来ることを応援しています。
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