【お悩み相談】死への恐怖とどう向き合ったらいいのでしょうか?
お弟子さん講座の5回目が終わり、泣いたり染みたり、笑ったりはしゃいだり…
息継ぎするのももったいないくらいに濃厚な時間を過ごして、新幹線に乗って帰り、ギンちゃん・仁くんと再会したあたりから…
むむ?
声がガサガサしてる…
と思ったのですが、一晩過ぎて関節の痛みと喉がひきつれるような感じに恐る恐る体温計を脇にはさむと
チーン。発熱。
チーン。声が出ない。
ということで、今日は仕事の休みをもらい、思う存分ゴロゴロ。
とってもいいお天気で、日差しの差し込むベッドの上であったかいなーと思いながらギンちゃん・仁くんと川の字でたっぷり寝て、予定外でしたがのんびりできました。
声はまだうっすらとしか出ませんが(てへっ)
体はとても元気になりましたので、ブログ読者様からいただいたお悩みを一緒に考えてみたいと思います!(← 唐突ですみません。)
唐突ですが、私は死が怖いのです。私が死ぬことに限らず、私の大事な人が死ぬことも。
実際には、死ぬことに限らず、今が幸せであればあるほど、それを失うことを想像して、勝手に怖くなってしまっているだけなのかもしれません。
関わる人や場所が大好きであるほど、そことの別れが惜しく、離れ難くなり、いつまでもこの状況が続いたらいいなと思う反面、必ずくるであろう、変化が怖くなります。
母や子供の寝顔を見ながら、ふと死ぬことを考えて、涙が止まらないことがあります。
最近、会社の上司が夜眠ったまま亡くなっていたということがあったのですが、それもすごくショックでした。
人が死んだらどうなるのか?
自分が死んだら全て無くなってしまうのか?
昔から、死については怖かった分、死後に関する本などをよく読んできました。
輪廻転成も信じていますし、前世を見たこともあります。
だけどやっぱり、どこかで全ては消えて無くなるもの、死んだらおしまいだと思っているのかもしれません。
そして、寂しがり屋なので、死んで1人になるような気がするのが怖いのかもしれません。
大好きな人たちが離れていくこと、大好きな人たちと離れなければいけないことを想像するだけで、寂しくて、不安で、怖くて、どうしようもなく悲しくなります。
こんな死への恐怖とどう向き合ったらいいのでしょうか?
死への恐怖を越えた先に、生きる希望や喜びを感じていられる自分でいたいのですが、普段はすっかり忘れているのに、時折思い出して、恐怖に囚われてしまうことがあります。
抽象的な悩みで申し訳ありませんが、アドバイス頂けると嬉しいです。
よろしくお願いします。
相談者:Mさん
Mさんの気持ち、とてもとてもよく分かります。
私も「死」がとても怖かった時期があり(今も怖くないのは嘘ですが、前よりその恐怖は薄れました)
自分の死も怖いけれど、それと同じくらい大切なものの死・別れ・喪失への恐怖は強く、子供時代にはその恐怖が強すぎて眠れなくなったり食べれなくなったこともありました。
「死」ってなんなんでしょうね?
私たちは生まれてきたら「絶対こうなる」という未来を持っていないはずなのに唯一持っている100%確実な未来は「死ぬこと」なんですよね。
私も死が怖かったので、子供の時にその恐怖を和らげようと、子供なりの視点でいっぱい調べたことがあります。
・人間も動物もその命が持つ「心臓の動く回数は決まっている」ので、早く心臓を打つと短い寿命である
・生まれる前から神様によってその人の長さが決められている(または天国で自分の長さを決めて生まれてきた)
どれもはっきり正しい内容でない、本から読んだ知識でしたが
私はこれを読んで、子供なりの解釈をして、なんとか大好きな人たちに「心臓をゆっくりうつ技術を習得してもらえないか?」「七夕の短冊に寿命変更のお願いを書いて、神様に変更してもらえないか?」と真剣に考えたりしたこともあります。
実際に、心臓に手を当てて「ゆっくり、ゆっくり」と練習のようなことをしていた時期もあります(制御不可能なのに、やれている気になっていました)。
恐怖を感じているのは「大好きな人・大好きな命」があるからこそなんですよね。
もしも私が世界に誰も好きな人・大切な存在がいなければ
別れる恐怖・寂しさ・悲しさ、何一つ感じずに生きて死んでいくのだと思います。
それはもしかしたら「楽」かもしれません。
けれど、私は恐怖が隣り合わせだとしても、好きな人や大切な命に出会い、かけがえのない瞬間を共にする生き方ができている人生の方が好きです。
前世を見たこともあったり、輪廻転成、死後の世界を信じているというMさんは、もしかしたら読まれたことがあるかもしれませんが、私も死について分からないから怖いと言った時にすすめてもらった1冊の本があります。
飯田 史彦さんという方の「生きがいの創造」(シリーズ物で複数出ているようです)という本です。
輪廻転成に近い内容なのだと思いますが、前世・現生・来世へと、私たちは肉体を離れた後も存在していて、さらに現生で近しい存在の人とは過去生でも身近な存在を何度も繰り返していたり、何度も同じ人と夫婦をやっている…というような内容でした。
とはいえ、これが正解というものではなく、一つの見解であって、やはり私たちは死という体験をしたことがなく、学習できないので、
分からないことは怖い
と思うことは普通なのだと思っているんです。
そして、分からないなら自分が好きな意見を採用しようと決めてから、私は「死」への過剰な怖れを少し和らげることができるようになりました。
先に挙げた本の中で、臨死体験をした人の話や過去生が見える人の話によると
死後の肉体を持たない時間は素晴らしい時間のようでしたし、何より私の心を楽にさせてくれたのは
・大切な人とは、自分の死後もまた関わり合える事
・肉体を離れた後、とても温かい気持ちである事
・また同じ形ではなくとも側で来世を送れるという事
本当かどうかは分かりません。
だって、死んでしまうとこの肉体での思考ができなくなるので、いくら命を何度繰り返しても思い出す事ができない事だから。
けれど希望のような、推測の域を抜けないものであっても「自分の気持ちがそれによって楽に構えられる」ものがあることが、恐怖を緩めてくれるのなら、それでいいんだと思っています。
> 母や子供の寝顔を見ながら、ふと死ぬことを考えて、涙が止まらないことがあります。
とてもとても、その気持ちはよく分かります。
私も時折、自分の両親や姉妹、子供のようなギンちゃんや仁くんが死ぬことを想像すると、恐怖のあまり叫びたくなることがあります。
死ってやっぱり、もう会えない、もう何も応えてくれない、もう触れ合えない、もう共有できない、そんないろんな「ない」が続くことが分かっているから怖くて寂しい気持ちになるのは、ごくごく普通の感情だと思うんです。
病的に怖い、となると日常生活を送るのが難しくなってしまいますが
大小の差はあれ死への恐怖はあって同然のものだからこそ、そんな自分を「大丈夫?怖いよね」と声をかけてあげて、不安に寄り添ってあげてください。
身近な人に抱きしめてもらえるならば、ギュッと抱きしめてもらって不安なMさんを包み込んでもらってください。
体を暖めることも恐怖や不安でガチガチの時には効果的です。暖かい飲み物を飲んでみたり、ふかふかの靴下を吐いたり、ブランケットにくるまったり、そうして不安を少しでも軽減してみるのもおススメです。
不安な気持ちに涙することも、感情を解放する一つの方法なので、決してその涙を止めずに、泣きたいだけ泣くことも不安から抜け出しやすくなります。
唐突ですが、悲しい気持ち、寂しい気持ち、それを「愛」をベースに見直してみませんか?
想像するだけで胸が苦しくなって涙が出るくらい「愛しい」「大切な存在」があるって、Mさんの「今世」は素晴らしいものではないでしょうか?
失いたくないものがあるほど、愛し・愛されることを知っているという事だと思うんです。
私はまだ、ものすごく身近な存在の「死」を体験したことがありません。
人と同じ扱いにすることを不愉快に感じる人もいるかもしれませんが
私は小さな子供の時から動物が好きで、ウサギやモルモット、犬という小さな動物と暮らしてきて、いくつかのお別れを体験してきました。
人間とは違い会話によるコミュニケーションも取れませんし、関わり方は人間とは違うものであるのは承知ですが
そのどれも、お別れはいつだって悲しく、また会いたいと心から思います。
時間が経って少しずつ哀しみや痛みが癒えて、思い出すことが少なくなってもやっぱり「会いたい」と思う存在がいる私のことを、私はいいと思えています。
そして、これも本当かどうかは分からないけれど動物の死後は【虹の橋】という場所があり、そこで私が来るのを待っていてくれるという話を知ってからは、また会える日を楽しみに思うことができるようになりました。
ほんのちょっとお別れだけれど、また会える日がある。
死への恐怖を少し溶かしてくれたのは「希望」と「愛」でした。
お別れした直後は、出会わなければこんなに悲しい思いをしなくて済むのに…と思ったりすることもありましたが
その哀しみよりもずっと、一緒に暮らせた時間・好きでいた気持ちの方が遥かに大きいと知っているから。
また会いたいと思えるくらい愛しい気持ちで関われていることが、幸せだと知っているから。
「哀しみや不安」がいっぱいあるのは、それでいい。
私はそれだけ大切な存在に出会えているのだから。
悲しい気持ち・怖い気持ち、不安な気持ちは【一緒に暮らしてきた証】【一緒に時間を共にした証】なによりも【大切の証】だから。
種類は違いますが、離婚する前に私は「来るべき別れる未来」に恐れおののき、震えていた時期がありました。
怖くて手放せず、もう別の道を歩き、人生で関わらない可能性の高い状態、生きていても死ぬのと同じようにもう関わらない未来が、怖くて悲しくてたまりませんでした。
それは「分からない」からくる怖さで、どんなに避けたくても私の夫婦関係は戻すことができずに離婚を決意してからも、ずっとずっと怖いままでした。
そして実際、今の私は、体験してみて「寂しい気持ちはあったけれど、ちゃんと受け入れて順応できる」ということを知りました。
傷もたくさんつきました。
寂しくないといえば嘘になります。
それでも愛する人に出会えてよかった、とやはり思うんです。
結婚なんてしなければ、出会わなければこんなに苦しまなくて済むのに…と自暴自棄に似た気持ちになったこともあるけれど
やっぱり振り返ると「出会えてよかった」「関わりあえてよかった」の方が暖かい記憶として自分に残っています。
お別れ・喪失は、痛みや絶望を連れてきますが
その裏側には「優しい気持ち」「暖かい記憶」「かけがえのない思い」がいっぱいあって、それはその人を作り上げてきた人生の一部として、その人の死後も「私の中」で大切なものとして「思い出す頻度が少なくなっても常にある」のです。
なくなることはない、大きな愛の記録。
> 大好きな人たちが離れていくこと、大好きな人たちと離れなければいけないことを想像するだけで、寂しくて、不安で、怖くて、どうしようもなく悲しくなります
私も同じ気持ちです。
だから、そうなった時に私が決めているのは「逃げること」です。
感じたくない恐怖から全力で逃げる、ということをしています。
どんなに考えても分からないし、避けることができないなら
その恐怖を先取りして苦しくなることから逃げよう!今を精いっぱい生きよう!と決めたんです。
前よりも自分の心の中にいろんな意見を採用することで、病的なまでの死への恐れは薄れ(特に自分自身の死への恐れは薄れましたが、Mさんと同じで周りの存在の死は不安で怖くて寂しいままです)たとはいえ、その恐怖は定期的に襲ってきます。
そんな時に、私は声に出して自分に言います。
やーめた!!
「今」そうじゃないんだし、そうなってから悲しもう!!
悲しんでいる・怖がている「今」だって死へ向かっているのなら、その分好きだって伝えたい、ありがとうと届けることに使いたい。
怖くて当然。
不安なの上等!!
そして、不安でうずくまっていたら食器を洗ったりモップをかけたりと、わざと動くようにしています。
じっと思考しているとどんどんと恐怖が膨れてしまいますが、動くことで思考が少し弱まってきたら、それだけで少しは心が楽になるからです。
> 死への恐怖を越えた先に、生きる希望や喜びを感じていられる自分でいたいのですが、普段はすっかり忘れているのに、時折思い出して、恐怖に囚われてしまうことがあります。
恐怖を越える必要はなく、薄めてあげられればいい、そう思ってみるのはいかがでしょうか?
だって、怖いものは怖いんだもの。
時折思い出した時に、その不安を軽減するMさんに合った方法、不安を和らげる方法を持つことが、不安な場所にいる時間を短くして楽に生きられる方法の一つかもしれません、ね。
Mさんはどうされると不安が和らぎ、落ち着けるでしょうか?
どんな時に心が穏やかで暖かい気持ちになれているでしょうか?
いっぱい「自分が穏やか」な時間がどんな時・どんな心の状態なのかを探してみて
不安になった時にその中からできるものを選んで
不安時の自分の取り扱い説明書
を作っておくのもおススメです!
・その場から実際に動いて止まらないようにする
・お笑い番組をみて思いっきり笑う
・泣きつかれるまで泣く
・あったかいお風呂に入る
・大好きな人にただ抱きしめてもらう、抱きしめる
・ぬいぐるみを抱きしめて眠る
・怖いよ、不安だよ、と言って身近な人に話を聞いてもらう
・暖かいハーブティーを飲む
・考えるのやめやめ!と声に出してみる
・別のことを考える
・それって「今」思わなくていいよね?と自分に言ってあげる
・自分が採用した「死後にまた会えるから大丈夫」を引っ張り出してきて自分に言い聞かせる
私が不安で心臓がバクバクするときにやっていることの一例です。
こんな風に、その時の不安をやり過ごすためのパターンをいくつかもっておくことで、不安から逃げてもいいと思っています。
超えられないなら、越えようとせずに共存する方法を探す、それもまた一つの方法だから。
そして、恐怖や恐れがあるからこそ
大切な人に「ありがとう」を届けたいと思えたり、慈しめている、そんな自分の愛を誇りに思い、生きている「今」を楽しみましょう。
【生きる希望や喜びを感じていられる自分】と書かれていましたが、Mさんはどんな時にワクワクしたり、楽しいと思ったり、誰かに伝えたいと思ったりするのでしょうか?
生きる喜びって、大きなものでなくてもいい。
小さなものでも、どんな形でも、自分が「うふふ」と笑えて、願わくばそれを好きな人に届けたいと思える、そんな事が何よりの生きる喜びだと思っています。
Mさんの世界は、Mさんが見たいように見ることができます。
観測者の視点でものごとは幾つにも変わって見えるものです。
Mさんにとって、この命を使ってやり遂げたいこと、伝えたいこと、届けたいことって何でしょう?
ライフワークを生きることも、もしかしたら恐怖と共存しながら自分の人生を希望に満ちた楽しいものにしてくれるかもしれませんね。
最後に…
これも私が死の経験がないのであくまで聞いた話ですが、私はこの話を聞いて「来るべき死」がそこまで怖くないと思わせてくれた言葉があるので、それをお届けします。
どんな人間も、動物も、死のその直前に
あぁ、いい人生だったと最高の感謝の気持ちを持って命の炎を消します。
亡くなる直前に、一瞬フッと笑うのはそのせいです。
どんな人生を送った人でも、最後の最期は「よかった」と思って幕を閉じるのです。
まだ見ぬ「死」は怖いものだけれど、その最後の最後に、どの人も「よかった」と思って眠りにつくと思えたことは、私にとって小さな安心の種を心に一粒植えることに繋がりました。
分からないのなら、自分の心を楽にできる「考え方」「思い込み」を採用してあげる、それでMさんの「今を生きる」力になれるのであれば、正解なんてないのだから、ちょっとでも楽になれる考え方をいっぱい探してみてくださいね。
大切な人を思う、愛情深いMさんに出会えた沢山の人はきっと
Mさんの愛に触れて、Mさんが愛してくれているようにMさんのことを愛してくれているはずです。
ステキな今世を生きているMさんが、私は眩しく思えます。
不安になったら、大きく深呼吸。
今を生きている自分を感じて、またゆっくりと歩き出せますように。
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あなたのお悩みを、ここでそっとシェアしてもいいよ!という方がいらっしゃったら
あなたの心の声・思いを聞かせてください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。
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