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【ココロノマルシェ】「やりたいことをやってきた」のにすっきりしない、満たされない、達成感が味わえないという謎について。

換気の時に入ってくる風が とって気持ちよく感じる季節になりましたですよ。

ほかほかと心地よく気持ちよい春の日差しを受けて、私の住む新潟では桜の花が少しずつ花を開きだしています。

我が家にもふんだんに日差しが入り込み、冬眠のように静かに息を潜めていた植物たちも新芽を膨らませたり新しい葉を広げたりして、いよいよ活動を始め出しました。(毎朝の水やりの際の植物の生長チェックが楽しい季節の始まりです!)

いいお天気の日は、お掃除の時以外にもお昼休みでお部屋に戻る際に大きな窓を少しだけ網戸にして換気しています。
目ざとく換気に気付くギンちゃんは、風の匂いを嗅ぎに狭いスペースに入り込んで日差しと風を堪能。

今年の春はコロナの流行で出来ない事や諦める事もいっぱいあるけれど、私の住む新潟は冬の期間「鉛色の空と冷たい風」で気分が塞ぐので、待ち遠しかった春にワクワクしています。

換気中の狭いスペースでこちらをチラリと見上げるイケメンさんをご紹介した後は(注:誰にも頼まれていない前置き)【ココロノマルシェ】に寄せられたお悩み相談をしたいと思います。

いつもこちらで多数のカウンセラーさんにお世話になっております。

今回は、私がふと気になったことで、なぜそのような心理状態に陥るのかを解明したくてご相談させていただきました。

「やりたいことをやってきた」のに、いまいちすっきりしない、満たされない、達成感が味わえないという謎についてです。

私は今までそれとなーく生きてきました。
小中高といろいろ(不登校、父の病死など)ありましたが、学校の成績はいい方だったし、内申もよかったので縁があって推薦入試で大学に行けました。

私のややこしい性格を理解してくれる友達もいて、男性不信な自分のところに初めての彼氏がやってきてくれて。

実は今現在、体調不良で休学をしておりまして、当時は身内と揉めましたが、今はむしろ協力的で「ありがたいことだなあ」としみじみ感じています。

自分の過去を振り返ってみると、ハードでありはするけどその分何とかなってきた部分もあります。
なのに、いつも自分は「やりたいことをさせて貰えてない」と思ってしまいます。よくよく考えれば「やりたいことをさせて貰えているはずなのに、なぜか満たされない」の方が合っているのでは?と気づきました。

私は一体、何をしたいんだろう。どうしたら満たされるのだろう。
というのが、最近の謎です。
相談者:サトウさん

サトウさん、こんにちは。
過去に不登校やお父様の死、今も体調不良など「いろいろ」ある中でも、やりたい事をやれてきたと言えるサトウさんは、きっととてもピュアで素直な方なんですね!!

できなかった事を数えるのではなく、ありがたい!という視点で物事をみれるというのは「素敵な価値」だと思います。

特に大きな不自由を感じてはいないし、よくよく考えれば「やりたい事もできていた」けれど、何か満たされない…と感じる方は、きっとたくさんいるのだろうと思います。

「嫌われる勇気」という本で有名になった心理学者のアドラーによると、私たち人間にはこんな性質があるそうです。

人間には「優越性の追求」という
常に向上を目指す性質がある

つまり、私たちは現状に満足する事や目標を達成する事を目指して頑張り、安定ややりたい事を成し遂げる事で「満足感」を得る事ができますが、それに慣れると「さらに別の何か」を探し求める性質があるという事。
簡単に言うと【現状に100%満足できる人】はいないんです。

> いつも自分は「やりたいことをさせて貰えてない」と思ってしまいます。よくよく考えれば「やりたいことをさせて貰えているはずなのに、なぜか満たされない」の方が合っているのでは?と気づきました。

今の私(または今までの私)では「何か足りていない」という『不足感』を持っていると、心が満たされていないと感じます。

満たされていない = 不満 を抱えている状態の時は、何かしらが足りていないと感じているという事。

やりがいや成績、恋人や友人、洋服や車や家、周囲からの評価など「外側」にあるものが何かしら足りない…と思う事で不足感を感じてしまいますが、サトウさんが言われているように「やりたい事をやれていたはず」と言うように、一時的には満たすことが出来ていますが、これらの外的な要素は

手に入れる・現実化すると慣れる
一瞬は満たされても日常になる

という性質があるため、時間が経つと「あるのが当たり前」に変わってしまい、充足感を持ち続ける事ができません。
なので、何かを手にすると満たされる…というのは一時的に満たされることはあってもそれだけでは満足する事ができません。

> いまいちすっきりしない、満たされない、達成感が味わえない

とありましたが、サトウさんは何をしている時に「夢中になって」心が弾みますか?
サトウさんはどんな時に「悲しい」と思って涙しますか?

満たされたと「感じる」、達成感を「感じる」と表現するように、頭で考えるのではなく『感じる』という事を抑えてきてしまっていませんか?

嬉しい・楽しい・悲しい・悔しいといった自分の感情に素直になる事も、自分を満たすためにはとても大事な事です。

何かを「達成」しているのにも関わらず、喜ばしい気持ちよりも「足りていない」感覚があるというのは【寂しさ】があるのに、それを感じないようにしているからかもしれません。

サトウさんはご自身のことを「ややこしい性格」とか「それとなーく」とか「縁があって進学できた」と書いていらっしゃいますが、そんな自分には『価値がない』『そのままでは愛されない』と思っていませんか?

・受け入れて欲しい人に受け入れれてもらえなかった
・愛情のかけ方が分からない
・何をしたら自分の心が晴れるかが分からない

そのままの私で愛されていいはずなのに、欲しい形の言葉や愛情をもらえなかった。
本当は甘えたかったのに我慢してしまった。
自分でもあまり覚えていないような些細な事が積み重なる中で、寂しさや愛されたいという気持ちを抑え込んで「いい子」でいようとしてしまうと、自分の本心との乖離がある分だけ精神的に負担がかかります。
「寂しい」という特定の感情を感じなくさせようとして我慢すると、寂しさだけではなく「嬉しい」「楽しい」といった満たされた時に感じる感情も一緒に抑圧されて感じられなくなります。

ワクワクする・満足するというのは「夢中になれる」ものがある時に感じやすいものですよね?
夢中になる時というのは思考で自分を制御せずに「感じること」を優先しています。
感情は繋がっているので特定の感情だけを抑圧できず、感じたくない感情を切り離そうと抑圧すると、それに引っ張られれて「感じなく」なっていく特性があります。
だから、我慢している感情を「感じる」ことを許可するというのも、自分を満たすためにはとっても大事になります。

また、何かをやっているのに満たされない…と感じているならば、無理に何かをする事で満たそうとしなくてもいいのかもしれません。

お腹が空いていなくて食べたいと思えていない時に無理矢理食事をしても「美味しい!幸せ!」と感じられず虚しい気持ちになるように、何かをしても満たされないと感じているならば、無理に満たそうとしなくていいんです。

もしかすると「満たしたい」のではなく「やりたくない」「忘れたい」「やめたい」「捨てたい」という事はありませんか?
楽しい事をしているつもりでも、本心ではやりたくない事ならば「いやだなー」という重荷の方が大きくのしかかりますから、せっかく頑張っている事も楽しいと感じれませんよね?

「嫌な事をやめてみる」
「やらなくていい事をやめてみる」

何かを「足す事」で満たそうとするのではなく「引き算」して、自分の気分が変わるのかを見てみるのも一つの方法かもしれません。

また、頑張り屋さんであればある程、これじゃダメだ!足りていないという考え方をしがちです。
つまり「現状では足りていない」と自己評価してしまうんです。
もう十分に頑張っているのに、これも足りない・あれも足りない…と出来ていない面に意識が向いてしまい、不足を集めてしまいます。

もしもサトウさんが「ねばらなない」と思うタイプであったり「完璧主義」の傾向があれば、それを少しずつ緩めてあげる事でも満たされる感覚を味わうことができるようになります。

「ねばならない」「完璧主義」の人は、物事を加点方式で採点せずに「現在の持ち点からマイナス」する方式を取ってしまいます。

減点方式の生き方というのは、ミスを1回でもしてしまったら持ち点が減らされます。ミスしないように、もっと頑張って得点を増やさないと安心できない…と不安ばかりが強くなります。
小さな失敗も許されないのですから、いい気分になることは永遠にありません。辛いことばかりの毎日になってしまいます。

維持するためだけに頑張るというのはとてもキツイものです。
得点を狙いにいく事ができず、常に守備だけのサッカーをしていると想像してみてください。失点したら即負けで、常に走り続けて守り続けるというのは、楽しいどころか疲弊しかしないと思いませんか?

完璧やこうあるべきという高い目標を維持するためにミスはできません。
ですから慎重になって自分を監視しなくてはいけなくなりますが、私たち人間は誰一人として完璧な人はおらずに不完全ですから「コレもダメだ」「こんな事も出来ないのか…」と挫折感の連続を味わうことになります。

日常的に積み重なる小さな挫折感は、自分の感情や記憶に追い打ちをかけるようにダメ出しをしてしまい自己否定感を強めてしまいます。
完璧主義という見えないロープで縛られていると、やっている事に楽しさや充実感を感じることができないんです。

常に「こんな私ではダメだ」と自己否定するシステムが発動し、何をしても減点されていくので、自分の器の中のものを捨てていっているのと同じです。
引き算ですから満たされることはありませんよね?

もしもサトウさんの中に「できない事にフォーカスして減点してしまう傾向」があるのだとしたら、完璧主義を緩めながら【ある】を探して加点していく事も、自分の事を満たす方法として力になると思います。

また、やりがいや成績、恋人や友人、洋服や持ち物、周りからの評価といった外側で満たしたとしても、それは一時的な満足しか得られずに満たされた感じが持続しないという話を最初にしていますが、自分を受け入れる事が自分を満たすためには必要不可欠です。

そう!自己肯定する、というのがとっても大事です。

自己肯定というのは「ダメな私」でもOKだと言ってあげる事でもあり、自分の感情に素直になるという事でもあります。
自分を否定することは、自分の心を傷つけること。
自分が好きなことって何だろう?それを全力で応援してあげよう!というように、自分が自分の味方になり受け入れてくれる事で、外側から埋めようとしなくて良くなる分だけ満たされた気持ちが増えていきます。

自己肯定や自己受容にもつながりますが、寝る前に毎日1個でいいので自分を褒める練習をしたり、今日あったラッキーな事や頑張った事を数えてみるのもオススメです。

・体調がすぐれないのにちゃんとご飯を食べた私、自分のために頑張っていて偉い!
・今日は見事なくらい信号が青ばっかりだった!ラッキー!!
・身体が重くてしんどかったから休ませるためにお昼寝して、自分に優しくできたのはハナマルだね!
・休んでいるのに顔を洗ってメイクまでするなんて、偉いぞ!

といった感じで「とにかく些細な事」「小さな嬉しい事」「ラッキーだと感じた事」を数える練習をしてみてください。
自分を肯定的に見れてあげられていなかったり「完璧主義」の傾向があると、こんな事を褒めていいの??と簡単なことを褒めることが出来ません。
でもね、日常の中で「うわぁ!嬉しい」「うわぁ!ありがとう」と思える事が多いほど『満たされ』ていくと思いませんか??

私たちは「足りない」「持っていない」という目で物事を見ていると、ないものばかりを見つけ出します。
その逆で「ある」に意識を向け出すと、日常生活の中ですでに沢山持っているんだ!という事を感じられると同時に「ある」を集める事をし始めます。

実は私も1年程前までは、満たされない気持ちや寂しさを抱えて生きていました。
自己肯定感も地中にめり込むくらい低く、毎日を取り立てて面白いとは感じられていませんでした。

けれど、少しずつ自分を肯定したり楽しませる方法を考えて「満たして」あげようとしたら、1年前と生活自体は変わっていないのに「楽しい」と満足して日々を過ごせるようになりました。

私が実践した事について、ブログで書い多ものがありましたので何かのヒントになれば…とご紹介させていただきます。

サトウさんが感じた「何をしたいんだろう。どうしたら満たされるのだろう。」と思う気持ちは、自分を愛してあげるキッカケになる素敵な問いかけです!
自分の事を受け入れ・抱きしめながら、自分を少しずつ満たす方法を見つけていけますように。

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ココロノマルシェでは様々な視点でお悩みに回答を寄せてくれるカウンセラーが沢山います!
あなたと同じようなお悩みを発見したり、あなたのお悩みを相談したり、あなたのココロが少しでも軽くなるお手伝いが出来れば嬉しいです♡

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ココロノマルシェとは違いますが、あなたのお悩みを、ブログで記事にしてもいいよ!という方は、ぜひお悩み相談を送ってください。
私なりの形で、あなたのお悩みに寄り添いたいと思っています。

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