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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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自分を甘やかす。「甘やかす」に抵抗があるならば「自分を労う」をしてあげませんか?

12月はメッチャ冬ですよね。 マミコが昨日はガクブルしてたですよ。

1か月前の今頃は、11月だというのにあったかくてビックリ~♪なんて言っていたのに、1か月でこんなに一気に冬になるのか?!と、変化のスピードにあわあわしています。

通常、12月って「冬」ですし寒いのが当然なんですが、暖かい日が続いていたこともあり

何でこんな急に寒くなるの?!

って思っちゃいません??

昨日は朝起きた瞬間から「さっっっっっむ!」と思わず肩を縮こめてしまいましたが、モコモコカーディガンを来て、ファンヒーターをつけ、おこたに入り、あったかいカップスープを飲んでも…

全然あったまらない。
いや、むしろ寒くてガタガタする…。

ということで、体の芯まで冷えていると判断し、お風呂を沸かしてドボン。
ふぅ、あったかーーい。

これで一安心、ようやく暖まった!と思いきや、1時間もしないうちに寒さ来襲。
え?どゆこと?!

ファンヒーターのパネルには「室内温度19度」と出ていて、通常ならばこのくらいだと『ちょっと暑いくらいだねぇ。いったん消して冷えたら付けよう!』と言っているので、どうやら私の問題。

ここでようやく体温計を取り出して熱を測ってみたら、発熱していました。
37度6。

発熱を確認した後は、寒気(を通り越した悪寒)と、鼻が止まらないこと、微妙に関節が痛いことなど、風邪の予兆らしきものにも敏感になり、昨日は少しだけやらなくてはいけない作業をした後は、ようこちゃんにもらって絞ってある「かぼす果汁」のお湯割りを飲んで、しっかり寝ました。

ギンちゃんが「ガクブルしてた」と言っていたのは、冬の寒さ…の影響もあるけれど、風邪を引いたことによるものだったようです。

幸い、私は一晩寝たら熱も微熱まで下がって落ち着いていますが、職場では「子供がインフルエンザ」「と思ったら親も感染した」「私はインフルAでした」などなど、インフルで離脱するスタッフ続出中。

あちこちでインフルエンザや風邪が流行している(時期ですものね)ようなので、あったかくして出来れば罹患せずに冬を超えたいですね!

* * *

私は自分に対して長い間「厳しく」「人の迷惑にならないこと」「間違わないこと」「より成長していくこと」を課して生きてきました。

こうやってゴリゴリに自立していったのですが、そこには長女という側面もあったと思います。

「お姉ちゃんなんだから」という言葉は、そのまんまただ単に『事実』である言葉だけれど、その言葉の中には色んな思いや願いが込められています。
(※あくまでも自立の上での一面で、他の要素の方が全然大きいです)

・お姉ちゃんなんだから自分のことは自分でやってね
・お姉ちゃんなんだから妹たちのお手本になってね
・お姉ちゃんなんだから先に怒られるのは当然
・お姉ちゃんなんだから先に譲ろうね
・お姉ちゃんなんだから甘えるのは恥ずかしいね

お姉ちゃんだから、お姉ちゃんだもん、お姉ちゃんはね…
この言葉は、いつの日が自分を律して「ちゃんとしなくてはいけない」という掟に変わっていきました。

私がリーダーシップやお手本になることが『向いていて』『得意なこと』であれば、お姉ちゃんは適材適所だったはずですが、残念ながら私は先頭に立つタイプではなく、後方部隊が居心地よいタイプ。

あっ!
誤解して欲しくないのですが、「お姉ちゃんだから」に込められていた思いには、悪気なんてないんです。
私がもしも子どもを産んでいたとして、お姉ちゃんやお兄ちゃんとして先に側にいてくれる存在がいたら、やっぱり「上の子の役目」を期待しちゃいそうですし、ね。

それに、下の子はどうしたって「上の子の真似」をしてしまうので、上の子にとっては安全に出来ることであっても、下の子にとっては危険なことだってありますし。

ちょっとスピ的な話ですが、今世を「マミコ」として自分が選んで生れてきているのであれば、本来は苦手な長女役を買って出た…ということは、きっと私の知覚できるような意識では分からない何かがあって「体験したかった」んだろうなぁ。

それが何か?は、今の私には全く分からないけれど、いつの日か「マミコ」としての生涯を終えて光のような存在に還って行くときに、学びの答えを持っていくのだろうと思っています。

今の私には分からないけれど、とりあえず「お姉ちゃんなんだから」の掟でグルグルしつつ、お姉ちゃんらしく振舞えないことで気落ちしたりする自分の体験全てを、悶絶したり葛藤したりしながら「味わって」いればいいんですよね!

なーんて、冷静になると思えるけれど、もがいている時には全然こんな風には思えないですけれど。えへへ。

そうそう、そして「お姉ちゃんだから・お兄ちゃんだから」という長子への呪縛はあるかもしれないけれど、それと同じくらい『長子としての恩恵』も受け取っています。

私は子どもを授かって育てるという経験がないので、想像と自分の過去を思い出してみる限りですが、はじめての子供ってご両親の期待や愛を思いっきりかけてもらっているんですよね。

この子に何かあったらどうしよう?と不安になって手探りで育ててもらい、成長を事細やかに見守ってもらい記録に残してもらったり、行事的なこともしてもらったり。

私の両親は愛情表現が得意ではなかったけれど、私が赤ちゃんの時からの成長の写真がたくさん残されていました。

妹たちもちゃんと写真は残っていて、アルバムに手書きのメッセージも添えられているのですが、その量や記録されている期間は「圧倒的に差」があります。

妹たちが口を揃えて「お姉ちゃんばっかりズルイ」というほどに。

私はゆるやかな成長変化が記録されて残っているけれど、妹たちは赤ちゃんの写真の次にはハイハイしている写真、そして次は立っている写真…と、子どもが増えればより忙しくなるので、写真や記録をつける時間もままならなくなるんですよね。

愛情をかけていないとかではなく、お姉ちゃんも下の子もいて、毎日成長させていくので精いっぱいなくらいお母さんもお父さん忙しいんですものね。

色々横道に逸れましたが、私はどうにも「甘える」というのが苦手です。

でもものすごーーく深い所には「甘えたい」がとぐろを巻いています
だから、特別親密な関係である「パートナーシップ」の関係では、甘えたくてメンドクサイを発揮します。

私の恥ずかしい姿(エロい意味ではない)、みっともない姿を歴代のパートナーたちにはすべて見せてきています。

与えて欲しかったものを、特別な存在のあなたには「与えてもらいたいい」と。

さらにややこしいのが、甘えるのが苦手なくせに「特別な存在」には甘えたいし、甘やかされたいのに…

甘やかされるとむず痒い。
甘やかされることがどこか後ろめたい。

甘やかされる=ダメになるんじゃ?!と危機感や罪悪感を感じる…んDEATH!!

だから素直に受け取れなかったり、甘やかしてくれると「いや、自分、大丈夫なんで!」と高倉健さんを憑依させたりして、素直になれません。

改めて文字にして過去の自分の「受け取り拒否」「甘えたくてちょっかい出すのに、いざ甘えさせてくれると無になる姿」を思い出し、歴代の愛しきパートナーたちに合掌です。

ほんと、めんどくさい私に付き合ってくれてありがとう。
上手く受け取れなかったけど、甘やかそうとしてくれてありがとう。

今、パートナーシップがない私は、本当に与えて欲しいものを「私」が与えてきていないから満たされなかったんだなぁ~と、自分が自分に与える練習をしています。

パートナーから得ようとするのも、自分では上手に得られないものを「パートナーという写し鏡(投影)を通して受け取ろう」としているだけなんですもんね。

自分が自分を「甘やかす」ということを、手を変え品を変えて実践していますが、いやほんと…

トライアンドエラー

で、試しながら「これは好き」「これは心地よい」「このくらいから始めるか…」というのを、自分で見つけていくしかないんです。

だって「こうしてもらったら嬉しい」は、その人が感じるもので他の人と同じとは限らないですよね?

今は大分ゆるんできたとはいえ、私は完璧主義の思考ゴリゴリタイプなので、頭で考えて実践する際には「完璧」にできるかどうか?を気にしてしまいます。
白黒つけたいですし、すぐに手応えがないとダメだとすら思ってしまいます。

でもねー。
野球でも「一流バッター」の打率って、3割なんですよ!!!

メジャーリーグの凄腕選手でも、2割台の選手がいっぱいで3割ってスゴイと言われるほど。

3割って、100回打てるチャンスがあっても「30回」しかヒットは出せていないということ。
7割である「70回は空振りか凡打」なんです。

私が「自分を甘やかすリーグ」に名を連ねたとしても、プロと呼ばれるにはまだまだ…です。
であればなおのこと、100回甘やかしの技を考えて実践しても、そのうちの10個でも「私に合うもの」「私が心地よいもの」を見つけて行ければいいのに、すーぐ「100全部」をものにしようとしてしまいます。

それも、少しでも自分を甘やかして愛してあげたい気持ちがあるから思うことであって、しょうがないこと。

だから、責めてしまうのではなく「ありがとう。急いでいっぱい集めたいくらい、ずっとしんどかったものんね。どうどう、焦らない、ゆっくり行こうね。」と言って自分をギュッとハグしてあげればいいだけ!

そしてもう一つ「甘やかす」というのが、どうもむず痒いというか「ワガママになってしまうのではないか?」「ご褒美ばっかりでダメなんじゃないか?」って思っちゃうことありませんか?

ワガママが良くないとか、ご褒美は特別な時にもらうものという教えの中で生きてきたのであれば、わがまま言ってもいいし、ご褒美は日常的にもらっていいんだよ!と言われても、「えーーっ?!そう言われても慣れないよーー」ってなりますよねぇ。

私も時々、この「なんかご褒美のハードル低くていいのかなぁ?」なんて言う気持ちがムクッとしてしまうことがあります。

せっかくのご褒美や自分を喜ばせたくてする行動なのに、そのせいで罪悪感を感じるなんて悲しいけれど、でもでも「感じちゃうもの」はしょうがないんですよね。

なので、甘やかすのがしんどい、甘やかすという言葉やご褒美に抵抗がある時は、ちょっとだけ言い方や見方を変えるようにしています。

甘やかすよりも、労う、に。

よく頑張ってきたよね、よくやっているよね。
つらかったよね。
せっかくやっていることも、馴染まないよねぇ。
どんまい!!
それでもいいし、さぁ、今日の私の気持ちを、私の愚痴もなんでもかんでも、私に聞かせてね。
私がどこまでも「よしよし」するからね!!

だってね、あなたも私も「毎日を生きる上で自分なりに頑張っている」んです。

「はぁ~疲れた」という声が出るというのが、頑張ってきた何よりの証拠じゃない?!

だからそんな自分に、労いを向けてあげるのならば、甘やかすよりもハードルを低く感じませんか?

このくらいで労うなんて…。
もっと頑張っている人だっているのに…。

正論はそうかもしれませんが、正論が自分を傷付けたり追い込んでしまうなら、その正論は「自分に対する暴力」です。
私に対して、その正論を振りかざすのではなく、正論はそうだけど「片目をつぶろうよ」って、自分をいつだってハグし続けてあげませんか?

正論に傷付けれて立ち直れないほど落ち込んだ時はあったけれど、本当につらかった時に私を支えてくれたのは「分かってくれること」「分かろうとしてくれること」でした。

労う、は頑張り屋さんほどやりやすいことですよね!!
頑張っているからこそ、堂々と胸を張って、自分を労ってあげましょ。

自分に優しさを向ける、自分に思いやりを持って側にいる。
そのために「手を変え品を変え」て、自分が少しでも楽になるやり方でやれていけたらいいですよね。

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