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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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人生には「答えのない問題」の方がいっぱいあるし、やり方だって人の数だけ合う・合わないがある ~あなたが苦しまなければそれでいい~

チャインマチュカットの味が出たんでちね~クリームちょっとペロしたいでち

お盆の少し前から、近所のスーパーにシャインマスカットが登場するようになりましたが、「一房 2,500円」という高値におののき、まだ手を出せていません。

出始めはどうしても「初物価格」でお高いですもんね~。
これから収穫量も増えて、より黄色みが強く甘くなるものが多いと聞いているので、その頃には1,000円前後で食べられるようになるといいな…と希望を込めつつ、売り場を恨めし気に眺めて消える妙齢おまみーぬです。

キラキラの眼差しで仁くんが見つめるその先には、同じくスーパーで買った「シャインマスカットゼリー入りの長細いロールケーキ」。

本当はダメなんだけれど、パッケージについてしまったクリームや、ケーキ本体のクリームをほんの少しだけ2魂もペロッとします。
ティースプーン1杯にも満たないくらいの少量ではありますが、クリーム大好ききょうだいは大喜びです。

お手軽価格とかわいい見た目のロールちゃん。

スーパーの特設ワゴンに時折「120円代」のお手頃価格で買えるスイーツとして並ぶ、細長いロールケーキのロールちゃん

細長いのでペロリと1本いけちゃうのですが、定番のホイップクリームやチョコクリーム以外にも、限定で気になる味のものが出てくれるのがとっても嬉しい!

私はイチゴ味とシャインマスカットや白桃といった味だと、ついつい手を出してしまいますが、限定のものは外側のスポンジ部分も水玉模様になっていて、見た目もとってもかわいいんです。

ケーキ屋さんの美味しいケーキもご褒美だけれど、スーパーで手軽に買えるかわいいロールケーキも私にとっては嬉しいご褒美。

明日からまた仕事ですもの!!
明日に備える栄養として、自分が笑顔になれるものをささやかに差し入れです。むふふ。

ダイエットはどうなっているんでしょうね…

ギ、ギ、ギ、ギクゥ。

春の健康診断前から少しずつ「自重トレーニング」と題して、簡単な動きを毎日続けているのですが、おかしなことに全くサイズダウンせず。

もしかしたら寝ている間に、いくらダイエットしても細くならない魔法にかけられたのかしら??

頑張り過ぎてもしんどいし、ゆるゆると出来る範囲でダイエットもしていこうと思います。

* * *

私たちは子供時代に、問題には「正しい答えがあり、間違わずに正解を見つけるべきだ」と教えられてきました。

学ぶ事柄や試験には「正解」が必ず用意されていましたし、正解すると得点をもらえて評価してもらえました。
正しい答えを出したり、模範とされるような(正しいとされるような)行動を取ると褒められます。

正しい答えを見つけること、人から見て正しいとされる行動を取ることで、成功体験を積んできました。
誰だって「すごいね!」「良かったね!」と言われたら嬉しくなりますよね!

いつだって答えのある問題が用意されていて、正解することで褒められますが、間違うと正解するまで矯正されたり、あきらかにガッカリされたと感じることで自分はダメな存在だとすら感じてしまいます。

だから私たちは、問題を前にしたとき、「答えを探そう」「正しい選択をするべき」だと思い、一生懸命になります。

でも、生きていく中で起きる問題の多くには、明確な答えなんてないものの方がいっぱいあります。

答えがあれば簡単なのに…と悶絶したり、正解があれば楽になれるのにと涙することがこんなにも沢山あるなんて知らなかった。

だって、学校では「答えがない問題もあるんだよ」なんて教えてもらっていないんだもの。

正しい答えを見つけるように教えられていた上に、『道徳』のような正しい答えがないようなものであっても「多くの人にとっての正論」とは何かを議論して

これがきっと答えだろう。
これがきっと正解だろう。

というものを捻りだして、それに自分を合わせることをしてきたんだもの。

そうやって生きてきたのだから、大人になって「答えのない問題」に出会ったときにも、正しい答えを見つけなくてはいけないという思いに苦しみます。

また、玉虫色の答えだって世界にはたくさんあるのに、『唯一の正しい答え』にこだわって、自分に合わない答えに合わせようとして、自分を傷めつけてしまうこともあります。

答えなんてすぐには分からないことや、後になって思えば…というように、うーーんと時間が経ってから「自分にとっての答え」が見つかることがあるのが人生です。

下手したら、「人生の大きな問題を前にして、私は間違ってしまったようだ」と思って後悔するような出来事があっても、それが転機になって人生が変わって、間違ったように見えたことに感謝することすらあるんですものね。

知識が増えることで、問題解決の道筋が増えたり、自分を助けてあげるためのヒントを見つけることができるようになります。

私は夫婦問題をきっかけに心理学を知り、そこから色んな知識に触れて、自分と向き合うことを続けてきました。
今も、自分と向き合い続けています。

でもね、自分を笑顔にしたり楽にしてあげるために学ぶ知識や、自分をより生きやすくさせてあげるために学んだことで、かえって苦しくなることもあるんですよね。

人生の中で直面する「解決したい問題」を前にしたときに、あれも足りていない、これも足りていない…と、「自分にはできないようなこと」であってもやるべきだと自分を叱咤して頑張らせたり、間違うことがないように「正しく完璧にやるべきだ」と無理させてしまったり。

人にはみんな、出来ることが違います。
あの人にとっては「ベストなやり方」で正しい答えのように見えるものも、私にとっては「しっくりこないしんどいやり方」で、やればやるほど蟻地獄にハマって身動きできなくなるものだってあります。

フィギュアスケートの羽生くんに、サッカーのメッシがやることを求めても出来ませんよね。
サッカーのメッシ選手に、アイスリンクで3回転ジャンプをするように求めても出来ないと思います。

誰かにとっての「得意」「上手にできること」「正解や目指すもの」があっても、それが自分にも合うかどうかはまた別問題なんです。

私は夫婦問題で苦しんでいた時に、手放しが正解だと思っていました。

もちろん、手放しをすることで「自分を苦しくさせる執着という鎖から自分を解いて楽にする」ことができるので、自分のためにできる愛ある行動の1つであることは分かっています。

でも、これがどうにもこうにも、私には過酷でしんどくて、全く手放せませんでした。

手放しが問題の答えであると思い込んでいたので、正しい答えが分かっているのに行動できない自分が許せませんでした。

ここに答えがあるのに、間違わずに生きれるのに、なぜそうできないんだろう?
たった一つの「完璧な答え」にたどり着けない私は、やはりダメなんだ…と、自己否定ばかりが増えて行きました。

しんどくて生きるのをやめたいと思うくらいヘロヘロになって心療内科の扉を叩いたとき、私が救われたのは、手放しをすることではなく

こんなにも頑張ってきた自分を、傷だらけで頑張れない自分を、見つけて・抱きしめて・分かってあげることでした。

その時に私が必要としていた答えは、傷付いた私を見つけてあげることでした。
それは「手放し」ではなく、手放せないで泣いている私を見捨てないことでした。

できないのは、今がその時ではないからなんですよね。

痛みがあったり、まだ行動できるほどに機が熟していなかったり、自分には向いていない方法だったり。
でもね、本当に自分の人生に必要な答えなのであれば、自分にとって「今なんだな」という時にちゃんと向き合うし、不思議なのだけれど『なんとかなる』ものなんですよね。

私は私を見捨てず、傷だらけの私を抱きしめることをした結果、あんなにも執着していた彼と私を縛る鎖を、ゆっくりゆっくりですがほどいて手放すことができました。

私は「夫婦問題」に自分なりの答えを見つけるまでに、うーーんと長い時間が必要でした。

人から見たらそれは『無駄な時間』『遠回り』で、人生をもったいなく消費したようにも見えるかもしれません。
近道やもっと効率的なやり方だってあったでしょう。

でも、これが私なんです。

こうするしかできない、不器用でモジモジしちゃって、同じ場所で足踏みして、間違ったらどうしよう?と不安になって行動できないのが、私なんです。

そしてね、もしかしたら離婚という選択肢じゃない未来を選べたのかもしれないし、私自身は離婚を望んでいた訳ではないので、『正しい答え』を選べたのかどうかは分かりません。

いや、結婚生活というのは生涯ともに添い遂げることを目的としているのだから、そうできなかったという事は「間違ってしまった」ということになるのかな??
でもやっぱり、離婚や結婚生活の継続についての『正しい答え』なんてないんだろうな。

正しさ・間違う事への怖れは、私たちに刷り込まれているのでなくすことはできないものだと思います。
正しい道で生きられれば、ずっと楽なのも事実ですものね。

でも、人生や世の中には、解決できない問題のほうが多いですし、答えがない、または見る人の角度や解釈によって異なる答えがあることのほうが圧倒的多数です。

あの人ができたからといって、それが私にも合うやり方とは限らない。
あの人には解決できたとしても、私には解決するには難しい問題だってある。(その逆もあるのだけれどね)

解決できない・答えがない問題があるんだ!ということを忘れてしまうと、私たちは教え込まれている「正しさ探しセンサー」に振り回され、解決できない問題を前にして苦しみ続けることになってしまいます。

正しさ、もっともらしさ、こうあるべき…も大切なことの1つではあるけれど、それで自分が悲鳴をあげるくらいならば、その正しさは「自分にとっては正しくない」ということを教えてくれているんですものね。

自分に合わないものや、自分には到底無理な「正解」にこだわるのではなく、問題の中でただでさえしんどい自分に対して、もっともっと柔らかく優しく寄り添ってあげませんか?

私に合う「答えのようなもの」に、ゆっくり回り道をしながらたどり着ければいいんですから。
そしてそれは、人生の後半部分で気付けるのかもしれませんし、今世では見つけずにそっと宝の地図として来世に持っていきたいものかもしれませんし、ね。

答えのない問題と向き合うことのほうが、人生では多いのだから、正しい答え探しは必要ない!!
それよりも少しでも自分が心地よく楽に、のびやかに、出来れば少しだけでも痛みや苦しみが少なく生きていける様な道を見つける方が、ずっとずっといいですものね。

あなたが少しでも苦しまないこと、それがもしかしたら「あなたにとっての答え」につながっている道なのかもしれませんね。

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