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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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改めて「不安」を考える ~とても強い感情だから、その中にいる自分をほぐしてあげられるように~

お仕事の人から お饅頭もらったんでちよねー

週末、仕事を担当しているお客様がイベントを開催していたので、朝早い時間にチョコッとお邪魔してきました。

イベント会場で「ガラポン抽選券」をもらい、商品である「任天堂スイッチ」が当たったらどうしよう?!とドキムネしながら、出てきた白玉は参加賞。

参加賞はボックスティッシュ1箱なのですが、先着順にお饅頭のプレゼントがあったようで、参加賞の中に「黒糖饅頭」が3個も入っていました。

仕事中の糖分補給にパクッと幸せ

いただいたのは「丸屋本店」という新潟のお菓子屋さんの人気商品である黒糖饅頭

小ぶりなので1つを食べきるのにちょうどいいサイズなのですが、中にはみっちりと餡が詰まっています。

今週も激務ウィークなので、夕方になると頭ばボーッとしてくるタイミングで

そうよ!私にはお饅頭があるのよ!!

と、一つをじっくり味わって「脳」へのエナジーチャージ。

疲れてボーッとしてきたとき用に「タブレット型のラムネ」を常備していますが、お饅頭での糖分補給ってラムネよりも満たされ感があっていいかもしれない?!という新たな発見がありました。

和菓子って普段は自分で買うことがないけれど、いただいて食べるとそのおいしさにニッコリしちゃいますよね~。

もうじきあったかいお茶が美味しく感じる季節になりますし、美味しい和菓子探しもしてみようかな??

* * *

私は長い間「不安と仲良し」で生きてきました。

…と、過去形にしていますが、現在進行形で「不安」とはお付き合いがありますし、生きている以上、不安というのはなくせないものです。

だって、感じちゃうものだからね!

過去形で表現したのは「病的なまでの不安」との仲良し具合。

子供時代は特にひどく、通院こそしませんでしたが、もしも病院へかかっていたら病名が付いたであろうほどに、不安を抱えて生きていました。

この「不安」な気持ちって、感じてしまうと身動きが出来なくなるんですよね。

今の私は、感情はある程度するとゆるむ(抜ける)というのを「知識として」知っているので、不安が強くせり上がってくるたびに、無理させずに自分を労わりながら、不安で震える自分の側にい続けることをしています。

先週末も、謎の不安に包まれて、気持ちがモヤモヤしていました。

感情が強く表出しているときは、それを無理矢理押しやろうとしても、まとわりつくようにして離れてくれないんですよねー。

でも本当に不思議で、特に何をするでもなく「時間」が経っていくと、強烈な感情は和らいでいきます。

日常の色々なことに意識が向いて他の感情が動き出すことで、大きく存在していた感情が感じられなくなっていくからなのかなぁ?

感じ続けるにもエネルギーが要るものだから、生きているとそこにばっかり強いエネルギーがかけられないからなのか?

はたまた、その感情自体に慣れて気にならなくなるのか??

仕組みはよく分からないけれど、ドーンと強く感じた「実体のない不安感」も、気が付いたらすごく小さくなっていて、感情って変化するものだよなぁ~というのを感じていたところです。

特に何もしていなんです。
ただ、不安な自分をギュッとして、不安な自分のままでいただけ。

当然ですが、不安な気持ちって「心地よいもの」ではないので、渦中にいる時には重苦しさや気分が腫れずに「はぁ」ってため息も漏れるのですが、いつまでもその感情【だけ】に縛られ続けるというのも難しいんですよね。

不安がなくなるわけではなく、時間と共にゆるんで小さくなって気にならなくなる。

怒りや悲しみの感情も同じように、だんだんと小さくなっていって、自分を丸ごと縛るのを緩めてくれるんですものね。

その感情が強ければ強いほど、ゆるむまでには時間が必要ですから、辛い中にいる時には『頑張らせるのではなく、慈しんで優しくする』ことをしてあげてくださいね。

* * *

そもそも「不安」ってなんで起きるんだろう?

自分の身にとって「危険」「良くないこと」「のぞましくないこと」があるのでは?と考えたり、気付いたり、勘づいたときに感じるのが不安ですよね。

不安というのは、自分のことを『守るため』に湧きあがる感情です。

良くないことが起きるんじゃないか?というときに湧きあがるのだとしたら、注意喚起のためにも『軽くて無視できちゃうような感情』だと困る訳です。
危険信号を無視しちゃって、自分が傷付くことがあったら一大事ですもの。

「もし…」というような未知のことに関しては、結果が分からず、場合によっては「自分が傷付く可能性がある」のだから、不安のセンサーが働くのは仕方がないんですよね。

もしかしたら、何もおきないかもしれない。
もしかしたら、うまくいかずに何もかも失ってしまうかもしれない。

先のことが分からないとき、いい方に転ぶ場合だってあるはずなのに、それ以上に「悪くなる心配」の方が強くなるのは、自分を守るためのセンサーが強く働くから。

それだけ私たちは、自分を安全に守りたい・命を危険にさらしたくないという本能的なものが備わっているんですよね。

「不安」はネガティブな感情軍の中でもとっても強く、ポジティブな感情をアッサリの見込めるくらい強烈な感情なんです。

先日読んだ「不安のしずめ方40のヒント(加藤諦三さん著)」という本の中に、不安という感情はがどれほど強いものなのかが書かれていました。

悩んでいる人と四十年以上にわたって接してきた私の感想は「人は時に、死んでも不幸を手放さない」ということである。
私はこの何十年間、命がけで不幸に執着する人をたくさん見てきた。それは、人間にとって不幸よりも不安のほうがはるかに強い感情だからである。人は不安を避けるためには、死にものぐるいで不幸にしがみつく。なりふり構わず不幸にしがみつく。(中略)今の生活が変わるのが不安なのである。(中略)不安を突き抜けて先に行くよりも、今の慣れた不幸のほうが生きやすい。
(引用:不安のしずめ方40のヒント/加藤諦三さん著)

この言葉に、首がとれちゃうんじゃないかというくらい赤ベコりました。(注:激しくうなずく様)

不安を強く感じてしまう私は、「しんどい」「笑えない」「八方塞がりだ…」という不幸な状態であっても、動くのが怖くて不安に飲み込まれて震えながらその場に立ち尽くしてしまいます。

夫婦問題を手放せなかった時だって、加藤諦三さんの言葉のまんま、何年も不安なまま動き出せずに執着して、自分がちっとも幸せではない悲しい状態にとどまり続けました。

命がけで不幸に執着していたのは、今の生活が変わることが怖いから。
先に進むのが怖くて怖くて、だったらしんどい今の状況の方が「分かっている分だけ」つらくてもなんとかなると思っていたから。

今もそうです。

何年も異動希望を出し続けるほどに「しんどい」と思っているのに、それが通らない状態で「しんどいよーー」と泣き言をいってつらい状況にとどまらせているのだって

先に進む方がずっとずっと不安で怖いからなんです。

さらに思うことがあるのですが、私たちの意識である「潜在意識」は変わることを嫌うって言うじゃないですか!!

【1】どうなるか分からない = 命の危険があるかも?!
【2】不幸はイヤ、幸せになりたい = けど、どうなるか分からないのは怖いからとどまる方が安心
【3】現状維持をさせたがる意識の力 = 変わるってどうなるか分からない不安定なことさせたくない(1に戻る)

私たちが自分で思考して使う事が出来ているのが『顕在意識』で、それは意識の中の3%にも満たないとも言われています。

顕在意識では「変わった方がいい」と思っているとしても、潜在意識では「変わることにブレーキを踏む」としたら、圧倒的に変われない方に軍配があがりますよね。

変わろうという3人 vs 変わるのは怖いから現状維持したい人97人、で繰り広げる綱引き大会

だとしたら、試合を見なくたって「変わるの怖いチームの圧勝」だと思いませんか?

ね…
不安ってとっても大きくて、だから簡単に「えいっ!」と不安を乗り越えられない自分がいても、しょうがないよなぁ~って思えますよね。

* * *

私は「不安強々国の住民」なので、不安になると簡単には動けません。

分かってるんです、不安の先に進んでも思っているよりも大丈夫なことの方が多いということも。
分かってるんです、ここにいても不幸だってことも。

でも、それでも不幸な方がまだ、手の内が読めるからそこにとどまってもがくんです。

しんどい中でも少しずつ少しずつ、自分をなだめ不安を静めて行きながら

このサイズなら不安があっても飛び出せる!という、自分にとって飛べるハードルになった時に、不安ながらもちゃんと決めてきたんです。

いきなり飛び出せない自分を「許し続けること」が、不安の中で強い感情の波にもまれている自分にしてあげられる優しさなのかもしれませんね。

不安な時に、加藤諦三さんの言葉を思い出すことも、自分を許してあげるのに役立つかもしれません。

不幸な状況にしがみついてまでも、不安の先に行く方が怖いんだもんね、って。

不幸を選んじゃうくらいに怖がって震えているあなたのことを「なんで先に進もうとしないのよ!不安に震えてバッカじゃない?!」って叱責してしまわずに、ただただギューーッってしてあげましょう。

不安な時、悲しいとき、辛いときは、ただ「優しくされるとき」だと思うから。

それにね、どんなに不安が強くても、それは感情なのでだんだんと変化していきます。

さらに、自分自身も少しずつ変化して、不安が強くて動き出せなかった状況から力をつけて、不安を越えられる「成長した自分」になれれば、その時に勢いをつけて先に進み出せますものね!

不安な時には、「体を使うアプローチ」もオススメなのでご紹介します。

大きく息を吸って、ふーーーっと息を吐き出しましょう。
このときに、心に渦巻く不安のモヤモヤも吐き出すイメージをするのもオススメです。

呼吸を続けながら、自分を優しく包むように体の前で両手をクロスさせて二の腕をスリスリとさすりましょう。

ヨシヨシ、ヨシヨシ。
不安だよね、辛いよね。
それでもいいんだよ、ヨシヨシ。
大丈夫だよ。不安な中で、本当によくやっているよ。

そう言いながら、手のひらを優しくサスサス・スリスリして腕をさすり続けましょう。

気持ちがちょっと軽くなるまで、1~2分じんわりと自分の腕をスリスリするだけなのに、効果抜群なのでお試しください!!

私たちは抱きしめられると、脳から「愛情ホルモン」と呼ばれるオキシトシンが分泌されます。
このオキシトシンは、背中や腕の外側をさすってもらうことでも分泌されるのだそう。

だから、優しく自分の両腕をさすることで、抱きしめてもらっている時と同じ「安らぎのホルモン」を出すことができます。

さらに、不安な時は自分に自信が持てませんから、「ホルモンの力」に加えて「言葉の力」も足して、自分にあったかい言葉をプレゼントしてあげちゃいましょう!

愛情ホルモン・オキシトニンの仕業なのかは分かりませんが、不思議と二の腕をスリスリしてあげているときには、優しい言葉が受け取りやすいんですよね~。

体と心は繋がっているので、体に優しい愛情が注がれると、不安な中でもほんのちょっと心がゆるんでホッとできます。

さらに朗報!!
ドイツ・ゲーテ大学フランクフルト校、心理学研究所のアルジョシャ・ドライソーナーらの研究で、自分で自分に触れる作業は、なんと愛する人に触れてもらうのと同じくらいの効果があるということが淡かったのだそうですよーー。

私は現在ひとり暮らしで、不安な時に私を抱きしめてくれる暖かい「誰か」はいません。

いつも愛する人が側にいてくれればいいけれど、そうじゃないこともいーーっぱいありますもんね!!

でもね、抱きしめてくる誰かがいなくても私の側には、いつだって「私」がいてくれます。
そして、その私がちゃーーんと抱きしめてくれるんだ、って自分の存在を思い出せたら、不思議とちょっと強くなれます。

不安な自分を責め続けるよりも、自分に優しくしながら不安の中でも飛び出せる「いつかの自分を信頼して」抱きしめながら、その不安を少しでも小さなものに変えていけますように。

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