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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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いつも静かに笑っている、そんな暖かい場所に、私はなりたい。 ~雨ニモマケズが教えてくれること~

今日の現場からの報告でち!! 冷蔵庫の奥から ちょっとオシャレなお酒が 発掘された様子でち!

年末年始は実家に泊まる予定で、冷蔵庫にあるものを確認していたら、秋にカルディで少し安く試せるようになっていたので買ってみた「レモンとマンゴー」のフレーバー付きのビールが出てきました。

週末や連休の日の「ちょっとしたご褒美・お楽しみに♡」と冷蔵庫の中に入れていたのですが、その手前にあったビン類の陰になっていて

すっかり飲むのを忘れていて、宝探しのように出てきたビール。

うふふ、年末??年始??どっちで飲もうかなぁ。
うん、忘れちゃいそうだから今日か明日に飲んじゃおうと思います。

よく漫画の一コマなどで、犬が嬉しくておやつを穴に埋めて分からなくなる…ではないですが、しまってすっかり忘れていたものが出てきた時の「お宝感」「おおおーっ!という嬉しさ」って大きいですよね~。
年末の私に、お宝としてビールが隠れていてくれたの…よね?? ← 都合よく解釈

* * *

普段は思い出すことがないことが、ふとした瞬間に思い出して気になる事ってありませんか?

昨日の夜、急にふっと『雨ニモマケズ』という宮沢賢治さんの有名な詩を歌にしたものがあったことを思い出しました。

CDなどで販売されているものなのかどうなのかもわからないのですが、私がこの歌を耳にしたのは、結婚してまだ間もなかった頃。
ちょうど旦那さんだった人が「仕事の重圧に耐えきれずにうつ病」を煩い、とても苦しそうにしていた時期。

私はあまりテレビに詳しくないのですが、晩ご飯を食べる時につけていたテレビで『誰も知らない泣ける歌』というような番組がありました。(名称は違うかもしれません)

そこで色々な歌が紹介されていたのですが、そこで流れていたのが「宇佐元恭一さん」という方が歌っていた『雨ニモマケズ』でした。

宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」という詩そのものも、読むとウルッとくるものがあるのですが、最初のピアノのフレーズから優しく染みる音で、全体的に懐かしい感じがする歌になっていて、旦那さんだった人と会話しながらご飯を食べていたのに、なんだかとてもジーンときて涙がポロッと出て、彼に背をさすってもらったっけ。

私がついに堪えられず泣いたのは、2番目の部分。

東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくていいといい
北にけんかやそしょうあれば
つまらないからやめとろいい
(宮沢賢治さん / 雨ニモマケズより:カタカナを平仮名に変換表示)

私がこの詩を知ったのは、中学生くらいだったと思うのですが(記憶が曖昧)、有名なのは冒頭の『雨にもまけず、風にもまけず』という部分ですよね??

確か全文を読んだ記憶はあるものの、この歌を聞くまで冒頭と最後くらいしか覚えていなくて、2番目にあたるこの詩の優しさに胸がギュッとなったんです。

私は不安におびえる人に、怖がらなくていいと優しく暖かい手を差し伸べられるだろうか?
疲れた人や病気の人のために、自分を差し出せるだろうか?
喧嘩や訴訟と言った争いを、正義のジャッジで裁くのではなく「つまらないからやめるべき」と優しく言えるだろうか?

この当時、私は勝手に色んなものを背負い込んでいました。

私が倒れてはいけない。
私がしっかりと立ち、不安そうにせずに大らかに笑って「大丈夫だよ!」って背をさすり続け、経済的にも頑張らないといけない、と。

本当はいっぱいいっぱいで、辛いって誰かに言いたかった。
本当は涙をこらえている事を、誰かに「よくやっているね」って分かって欲しかった。

ただただ、私の背負っている荷について知って欲しかったんですよね。
アドバイスも意見も要らない、ただ「それは大変だね」「よくやっているね」って分かってもらえるだけで救われると思っていました。

※この後、彼の付き添いで行った心療内科で「分かってもらう」事で泣き崩れた事があって、そこで自分がどれくらい分かって欲しかったかを知ったんですが…

だからきっと、この歌詞と柔らかい声と懐かしさを感じる暖かい素朴なメロディーに、堪えていたものが弾けて泣けたんだと思います。

– – – – –
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
– – – – –

ここに、疲れた私がいて、その私の束をただ共に背にして一瞬だけでも助けてくれたら、私はまた頑張れる

きっとそんな風に重ねたんだろうなぁ。

雨ニモマケズは、宮沢賢治さんの死後に発見された詩です。

晩年に漢字とカタカナで書かれたこの詩は、宮沢賢治さんがすでに病から寝たきりになり、死を意識していた時に書かれたものです。
だから「死にそうな人に、怖がらなくていいと言い」という言葉や、争いや諍いがいかにくだらなく勿体ない時間かを言葉にしたのだろうと思います。

病気が自分の体にいきわたって、命の長さが見えてきた…と言う時に書かれたであろうこの詩は、どこか「祈り」を感じさせます。
誰かのためではなく、自分のために、自分という命のための祈りの言葉。

だからきっと、胸に来るものがあるんだろうなぁ。

有名な、マズローの欲求5段階説という物があります。

マズロー

ピラミッドのような図の下にあるものが満たされると次の欲求が出てくるというものなのですが、一番下が「生理的欲求」で、これは食べる・寝る・排泄といった生命維持のために必要な欲求です。

そしてその欲求が満たされると「安全欲求」と呼ばれる、安全に暮らせる場所を求める欲求が出てきます。
子供時代は親に守ってもらわないと生きることが難しいため、子供時代には大きな欲求となりますが、大人になるにつれて次の段階の欲求に移っていくと言われています。

次は「所属と愛の欲求」。
家族の中や学校、組織やグループの中で自分の居場所を確認し、そこで愛されることを実感したいという思いです。

その次が「承認欲求」。
これは出世欲のようなものや、頑張ったことを認めてもらいたい・分かって欲しいと言ったようなものも含まれます。
この部分が満たされないと、劣等感や無力感・無価値感を感じます。

そしてピラミッドの一番上の部分が「自己実現欲求」と呼ばれるもの。
これは自分が生れてきた意味を探し、目的を持って自己実現をしたいという自己啓発や、自分の能力や可能性を発揮したいという欲。

当然ですが、より低次の欲求が満たされていなければ上の欲求はわいてきません。
食べるものがなくてお腹がペコペコの時に「自分の持つ才能を発揮したい!』なんて思えませんもんね。

で、マズローの5段階説には、さらに上に「6番目」があるとも言われています。

それは『自己超越』という欲求。

上手な説明が出来ないのですが、例えば自分一人でどんなに高級で美味しいお寿司を食べていても、喜びって限界がありますよね?
けれど、これを「喜んで食べてくれる人」にプレゼントして一緒に食べたり、すごく嬉しかった!という声をもらったらどうでしょう??

単純に自分が得た喜びにさらにプラスされて幸せや嬉しい気持ちが増します。

こんな風に、自分を超越して『誰かを喜ばせること』を私たちはしたいという欲求を持っているんです。
それはまず、自分がしっかり満たされてからの段階で出てくるのですが、根っこにはちゃーーんと「人のためになりたい」という気持ちがあるんですよね。

宮沢賢治さんの『雨ニモマケズ』に書かれた、人のために役に立てる優しい人でありたいという気持ちは、きっと経済的な事柄や名声うんぬんではなく、命の時間が有限だと分かって「こうありたい」と心から願った祈りなんだろうと思うんです。
だから、じんわりと泣けるんですよね。

人間が一番うれしいことはなんだろう?長い間、ぼくは考えてきた。
そして結局、人が一番うれしいのは、人をよろこばせることだということがわかりました。
実に単純なことです。
ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい。
(やなせたかしさん著 / もうひとつのアンパンマン物語より)

昨日、久しぶりに思い出して『雨ニモマケズ』の歌をyoutubeで聞いてみて、相変わらず2番目の所で涙があふれ、同時にこの言葉を思い出しました。

誰かを喜ばせること、誰かに寄り添える事。
それがきっと、生きている中で何より嬉しい事なんですよね。

死の床についていた宮沢賢治さんも『いつも笑っていて見返りを求めず、人の助けになる、そんな人になりたい』と書いていますし。

私はマズローの5段階説で言えば、まだ6番目の自己超越にはたどり着けず『見返りも求めますし、生きて行くために必死』な部分があるけれど、でも私にも

– – – – –
・優しさを届けて、安心できる存在でありたい。
・辛さをそっとともに背負い、その荷を少し軽くする手伝いをしたい。
・泣いているならば抱きしめ、その背をさすって「お疲れ様」を届け、胸の中でワンワンと泣かせてあげたい。
・誰かを喜ばせることが出来たらいいな。
・デクの棒のように出来ない事は多いけれど、いつもあの人は笑ってくれているからと、思い出してもらえるようでありたい。
・不安な事を怖がらなくていいから、とその手を一緒に握れる私でありたい。
・心の傷に、優しく絆創膏を貼れる場所でありたい。
・ただそこにいる「灯台」のような場所になりたい。
– – – – –

という思いがある事を、昨日の夜、紙に書き出してニヤニヤしました。

それはまだ、私には上手くできていない事だと思いますが、生涯をかけて少しずつ自分がなりたい姿になって行ければいいんですものね!

幸い、宮沢賢治さんが持ちたかった『丈夫な体』という大きな贈りものを手にして生きているんですもの!
宮沢賢治さんの詩を読みなおし

イツモ静カニ笑ッテイル
ソンナ暖カイ場所ニ
私ハ ナリタイ

と思った2011年の年の瀬でした。

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