正しい・正しくない、いい・悪い、その思いよりも大事にしたい事。
ピューピューと「THE・北風」というような音をさせた風が昨晩は吹き荒れ、その音だけで寒くなる…という自作自演の時間を過ごしました。
昨日は「鬼畜生クリニック」と題した「鬼畜生になりたいのになりそこない続けている」サトヒちゃんとオマミーヌがタッグを組んで開催したオンライングループカウンセリングを楽しく終えることが出来ました。
ご参加いただいた皆さん、本当にありがとうございました。
おひとり30分のカウンセリング時間を予定していたのですが、私たちがグダグダコンビなのをご理解いただき「ちゃんと察して」30分で終わるように気を利かせていただけたおかげで、予定していた時間内で無事に終えることが出来ました。
大切なあなたの気持ちを話していただき、とても嬉しかったです。
ご一緒できた時間に沢山の「ありがとうございました」を届けさせてください。
鬼畜生クリニックを終えた後、少しの時間お茶を飲んでおやつを食べてボケーッと過ごし、夕方からギンちゃん・仁くんを連れて実家に泊まりに行きました。
実家は近くにあるのですが、10月に入ってからはバタバタしていて泊まりに行くのは久しぶりだったので、ギンちゃん・仁くんに会いたがってくれていた実家の両親に思いっきり「猫かわいがり」されていました。
そこで妹が「じゃじゃーん」と私に見せびらかしてきたのが、冒頭のギンちゃんがかけている「ネックウォーマー」です。
じゃじゃーん。
見せびらかされて「欲しい!」と物欲に火が付き、DAISOで買ってきました。
お値段は300円なのでDAISOの中では「高級ライン」。
ちょっとだけセレブ気分でお買い物です。
この他に、今週末に久しぶりに「美味しいものを食べる仲間」と今年初の外食を予定しているので、そこで「ハロウィンのプレゼント」を渡そうと思い(お菓子や入浴剤を詰め合わせる予定です)かわいいラッピングバックも買ってきました。
先にチオビーにはお菓子を渡したのですが、こまごまと好きなお菓子を詰めて渡すのが楽しかったのでみんなにも「小さなおいしい贈り物」を準備して渡すのが今から楽しみです。
DAISOのネックウォーマーは「ベージュ・ピンク・白」の3色がありました。
私はベージュを選びましたがどの色もかわいくて、思わず2色でイロチ買いしようか迷いました。
が、冷静になって1個でガマンしました。
マミコはDAISOで我慢することを覚えたーー!(← レベルアップ)
すごくかわいくてあたたか、そしてとっても軽量。
買ってよかった~とにっこりです。
実は今、首に付けてブログを書いています。ヌクヌクの幸せです。
顔が書いてある部分の裏側に木のボタンがあり、それでネックウォーマーを止めるのがちょっと手間ですが、すごく寒い時には肩を温めたまま寝たりできそうで、洗い替えにもう1個買ってもいいかもしれない…と思っています。
実家に行ったついでに、実家の近くにある雑貨屋さんにも寄り道しました。
ここでは自分用の入浴剤や、近々会う人達にプレゼントしたい入浴剤や和な感じのワセリン、入浴剤とシートパックがセットになった「ありがとう」というかわいいギフトパックなどを買いました。
自分用に買った入浴剤はさっそく今日のバスタイムに使ってみました。むふふ。小さな幸せです。
* * * * *
昨日、鬼畜生クリニックを終えて実家に車で向かっている途中で、「いい・悪い」って私たちは正しさという物差しを使って自分をジャッジしちゃって苦しい事があるよなぁと思い、「正しい・正しくない」「いい・悪い」って自分を責めるのは苦しいからこそ、どう考えたら楽になるんだろう?と考えました。
私たちは学生時代に「答え」を正しく導き出すことの大切さを学びました。
学校では生きていくうえで大事な事や、人間関係を構築するやり方だったり、知らない事を知識として覚えたり、たくさんの「価値あるもの」を教えてもらえていますが、人との比較や競争、自分に足りないものを「ダメだ」と思い込んでしまったり「いい・悪い」というものさしを使う事を当たり前のように覚えてしまいました。
世の中には当たり前のように「いい・悪い」とルール化されているものもありますし(例えば赤信号を無視するのは危険だから悪い事、お店から物を黙って持ち帰ることはいけない事など)それを守ることはもちろん大事な事ですが、自分の感情・自分の思考・自分の行動ひとつひとつに見張りを立てて「それはだたしいと言える??それは間違っていない??」とやっていたら、とても大変で苦しいですよね。
例えば、職場ですごく理不尽な思いをして「あなたが」傷付き、とてもむしゃくしゃと怒りが沸き上がり、家族や恋人、お友達に「ちょっと聞いてよー」と理不尽な事をした人への恨みつらみや悪口のようなことを言ったとします。
「悪口はいけない事・正しくない事」だから、私は嫌な事をされたことでムカついて悪口を言うという「悪い事」をしちゃった…と自分を責めちゃうとしたら、すごくしんどいですよね。
私は傷ついた、私は悲しかった、私はムカついた。
その大事な「私の気持ち」を我慢させて、正しい・正しくないで自分の気持ちを解放するのを押さえつけちゃったら、傷ついたり悔しかったりした「大事な私」の痛みはどうなっちゃうんでしょうか??
私は理不尽な事をしてきた人に対して、すごく嫌な気持ちを持ってしまったから、その私の気持ちを聞いてもらって自分を楽にしてあげたい。
そう思って相手を選んで気持ちを吐き出すことは、自分の感情をケアするという意味では「正しい事」です。
ただ、そうすることで「その人を悪く言う」というのは、あまり気乗りしませんし楽しいものではないし「悪口は絶対にいけない事」だと思っていれば、自分が悪い事をしたと罪の意識を持ちます。
正しさって時に諸刃の剣になります。
そして、正しい・正しくない、いい・悪い、でひとくくりに出来ないものもありますから、ぎゅうぎゅうに自分を縛るのを弱めていくことがきっと大事なんですよね。
何よりも私たちは、誰一人として「完璧」な人間ではありません。
不完全で弱さと情けなさを標準装備しているのが、私たちという人間です。
だから、もともと「正しい事だけをパーフェクトにできる」という事が無理なんですよね。
できるだけ自分が正しい事「寄り」のことを選びたいと選択していくことしかできないのですから、完璧さを求めること自体が「Oh、No…」なんだと思う事がきっと第一歩。
本当に理想論ではありますが、悪口を言わない私でありたいけれど、感情面は思いもしない出来事で怒りや悲しみを感じるから、時に誰かを悪く言う事があっても自分を許してあげよう、というように「ゆるーくグレーなルールブックを自分の中に持つ」事が出来たら、きっと心は軽くなります。
って、そんなに簡単ではないですけどね。
私もまだ、鬼畜生を極められずにオロオロしたり自分を責めることもしちゃいますから。
そんな風にあれこれ考えていた時に、ふっと私の口をついて出てきた言葉がありました。
いい・悪いじゃなくて「私にフィットしているか」「私が笑顔でいるか」が一番大事だよね。
正義は人の数だけあるんだもんね。
という言葉でした。
正しさって不確実なものです。
時代背景や暮らしている国の文化などによっても異なるものですし、10年前と今では「正しさ」の判断基準が変わっているものだってたくさん存在しています。
他人を傷付けず、自分を害さない。コレされ守っていれば人間関係は問題なし。
『ニャンと簡単に身につく!心が休まる「アドラー心理学」』(宿南章さん著)
自分も相手も傷つかなければOK。うまくやろうなんて考える必要なし。
誰かを貶めよう、傷つけようと「悪口のようになってしまう事」を言ったわけじゃなく、あくまで自分の気持ちを聞いてもらって解放するための「ここだけの話」まで監視していたら、心も体もヘトヘトにすり減ります。
過去に読んだ「ニャドラー心理学」の本の中にあったこの言葉は、きっと自分を責めてしまいやすい人の「お薬」のような言葉なんじゃないのかな??と思います。
うまくやろうなんて考える必要なし。
正しくできなくてもしょうがない。
いい事じゃなかったとしてもしょうがない。
その時に私にフィットするやり方だったんだから、もうこれで終わりにしよう。
そんな風に自分を責めずに「終わりにしようね」って言ってあげられるようになりたいですね。
「正しさ」「正解」「良いもの」へのこだわりが強い人は、きっと日常生活の中でも自分の感覚や感情よりも「思考」を優先させている事が多いと思います。(過去の私はまるっきりこちら側の「思考優位タイプ」でした。そりゃあしんどいドMスタイルでした。)
これを緩めていくためにも、いい・悪い、正しい・正しくないと判断しようとするよりも「私にフィットするのはどれかな?」という見方を日常生活に取り入れることがきっと役立ってくれます。
それは些細なものの方がやりやすいです。
例えば毎日きちんと湯船につかることがいい事…なのは分かるけれど、今日の私はその時間を短縮してシャワーにして他のことをしたいし、そうすることが自分を笑顔にする(自分スタイルで自分にフィットするやり方)なのであれば、それを
これが今日の私スタイル♡
と許可してあげる。
こんな小さな、誰にも迷惑をかけないような事から実践していくことで「思考」よりも「気持ち」を優先していけるようになります。
私たちの世界や気持ちは「何かで測れないもの」がいっぱいあります。
だからこそ、より笑顔になれるものやより幸せだと思える選択をしていけたらいいですものね。
そのためにやっぱり大事なのが「自己受容・自己肯定」なんですよねー。
私自身、まだまだ「いい・悪い」に支配されている部分がありますから、少しずつその観念をゆるーくしてきたいなぁと思っています。
みなさんも、自分を苦しく責めているなぁと思ったら、ほんのちょっとだけでいいので「この考え方は私にフィットしているかな?」と心が窮屈になって委縮したり居心地悪い感じがないかを問いかけてあげてみてくださいね。