私の歩幅で、大きく深呼吸して。
昨日はすこぶる爽やかな晴れのお天気でした。
窓からベッドに明るい光が差し込む中で、ウダウダとまどろむ朝は休日だから急いで起きなくていいだけで幸せ。
いつもなら仕事に向かう朝8時半頃までベッドでのんびりした後は、窓を薄く開けて網戸にして風を入れながらお洗濯やお掃除。
いいお天気だからベッドリネン類を洗って、ベランダで万国旗のように干しました。
冬の間はベランダ干ししても乾かないのですが、もうベランダ干しができるんだ〜!という事にこれまたニッコリ。
小さい事だけれど、こんな事が嬉しい土曜の朝。
あちこちちょっと細かくお掃除したり、お風呂のつけ置き洗い(風呂釜洗浄)や洗濯槽も洗って、ついでにギンちゃんがお気に入りのテントの中のクッションも天日干しして、ほっと一息お茶を飲んだ後は、いいお天気のお昼前に仁くんとお散歩。
仕事が終わってからのお散歩が多いので、どうしても暗い夜道のお散歩になる事が多いのだけれど、今日は気持ち良い風とホカホカの日差しを浴びて気持ち良いお散歩。
嬉しそうに歩きながら、時折私を確認するように振り返る姿に愛おしさが溢れちゃいます。
親バカなので仁くんの横に伸びる影すらも愛おしくて胸キュンです。
金曜はちょっと夜更かしして、前に買って読み終わっていなかった「生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント」(西原理恵子さん著)というミニお悩み相談本を読みました。
時にちょっと強くもありますが、西原さんのお悩み相談は短い言葉なのに胸に染みるものが沢山あります。
きれいに生きられたらそれに越した事はないけれど、人間は「正しさ」だけで生きていられないからこそ、自分を苦しめるのならば上手に悪知恵を働かせて自分を楽にさせて生きられればいいじゃない?
別にそれが誰かを傷付けるとか攻撃するんじゃなくて、自分を守るための悪知恵で自分を守ればいいじゃないの!
そんな感じの豪快に笑ってくれているイメージの一冊の中に、ハッとさせてもらえる素敵な言葉が沢山ありました。
私は今までは「石橋を叩きすぎて割って泣く」タイプでした。
それがだいぶ改善できるようになり、割るまでは叩かずに歩けるようにはなりましたが、まだまだ未来への不安から石橋を叩いて、もう一回確認のために叩いて…と「よく言えば慎重派」な面があります。
未来を予測するのは不可能ですし、私たちは「今」しか生きられないのは頭では理解していますし、そう思えるようにもなって『今、ここ』に意識を向けられるようにもなりましたが、何か自分の中で「もっとしっくり納得できるものがあると、より『今ここ』を意識できて楽になれそうなんだけどな〜」と思っていました。
そんな私に「おおっ!コレはなるほど!!」と染みたのが、未来を不安視してしまうというお悩みに対する西原さんの回答の言葉。
不安をたぐり寄せて何かのせいにして生きていっても楽しくない。
不安を予期して備えていたって、そんなの道歩いてたって車に轢かれるんだから。
(生きる悪知恵 / 西原理恵子さん著)
あぁぁぁ!すごく納得!!!
不安から身を守ろうと「起きてもいない事を予測しようとして」ビクビク生きるのって体に力も入るし、不安という大きな荷物を背負っているからしんどくて、生きていても楽しいを感じられなくなっちゃうんですよね。
多少の不安はあるのは仕方ないとしても、あれもコレもと備えようとしすぎて「今」を見ずに生きていたら、すごくしんどいですし、どんなに予測しようとしても未来なんて誰ひとりとして正確には描けず、ずっと先のことを不安に感じて先回りしようとしても、ずっと先まで生きられるかなんて分からないんですもののね。
道歩いててガーンって車に轢かれるなんて、誰も予測しないですけれど、それだって「絶対ない」なんて誰にも言えないんだし、ね。
未来を予測しようとして不安で辛くなった時、この言葉を読み返そうと思ってノートにメモしました。
100%手放せなくても、ほんのちょっとでも「あぁ、備えていたって車に轢かれる事もあるんだし、分からない事で不安になりすぎなくていいんだよ!」と言ってあげられるだけで、心が少しだけでも緩めばいいですもんね!
そして、この言葉もとても素敵でした。
西原さんが震災直後に被災された方を励ます一言を求められた事が幾度かあったそうです。
けれど、西原さんは「そんなの何も言えません」と答えています。
家も仕事も子供も全部持っている状態で、全部をなくした人に何を言えるのか?と。
そしてそれに続く言葉がすごく心に染みました。
今、聞きたいのは(中略)同じような体験をした人が、どうやって立ち上がって歩いてきたのか。
その言葉はきっと宝石のようにきれいで太陽のように温かくて力強いと思う。
そういう言葉が一番の救いになるんじゃないでしょうか。
(生きる悪知恵 / 西原理恵子さん著)
震災とは種類が違いますが、生きていると思いがけない「まさか」が起きる事があります。
私もその「まさか」に絶望し、沢山泣きましたし、生きるのがしんどいともがいた時期もありました。
傷付いた事や泣いた事、どうにもならないことを前に途方に暮れた体験は「決して望ましい出来事」ではないけれど、私は体験したからこそ、同じように泣いている人の痛みや悲しみが分かります。
そして、泣きながらもなんとか歩き出して、今は笑って生きています。
私が体験したことや、痛みを抱えて生きてきた事が、同じような境遇で泣いている誰かにとって「宝石のようにきれいで太陽のように温かく・力強い」ものになれるのだとしたら、あの痛みにも価値があると思ってあげる事ができます。
本当に、過去というのは後からどうとでも見方や角度を変えて見てあげられるんですものね。
そしてもう一つ、この言葉もとっても素敵だったのでノートに書き留めました。
なかなか結婚してくれないかれに対してのお悩みへのお返事の一節。
長い人生お互い助けが必要なときが必ず来ます。突然の嵐が来ます。
そのとき絶対、相手の手を握ってあげられるように。
(生きる悪知恵 / 西原理恵子さん著)
私は結婚していた時、突然の嵐でも凍えるような大雪でも、大好きな人の手を握ってあげたいと思っていました。
残念ながら力及ばず…で、私は繋いでいた手を離さなくてはいけなかったけれど、またいつか、お互いに寄り添い・助け合い・共に生きていける素敵なパートナーに出会えたら、やはり相手の手を「困難があった時」こそしっかりと握ってあげたい。
この思いを、忘れてしまわないように。
読んだ本に素敵な言葉があるととっても嬉しくなります。
また一つ、私を励まし微笑ませる言葉が集まりました!!
私は私の歩幅で歩いて行こう。
そして、大きく深呼吸して、できれば笑顔で。