一度死ぬことで見えること ~死のワークショップで意外だったこと~
雪解けも進んできて、少しずつ春の足音…と思いきや、また明日から寒気がやってくるようですね!!
私たちの暮らす新潟市は、そこまで大きな積雪はないと思っていますが、それでも雪予報エリアのためドキドキです。
とはいえ、寒気がずっと居座る形ではなく短い周期でお天気は変化しそうで、あと数週間もするとすっかり春めいてくるのかな??
春が待ち遠しいけれど、昨年とうとう「花粉症デ・ビュー」してしまったので、今年はどうなるのか別の意味でドキドキです。
昨日はようやく「スラムダンク」を映画館で観てきました!
職場の同僚たち、お世話になっている美容師さん、仕事関係のお客様から『めっちゃよかったから、観ておいたほうがいいですよ』と言われていたのですが
みんながいいというと期待値が上がって、見た時に「あ、あれ?」ってなりがちだから、期待し過ぎないでおこうと思って見始めたはずが
めっちゃ号泣しました。
控えめに言って、映画館にちゃんと見に行ってヨカッター!!と思いました。
いやー、面白かったDEATH。
私は涙腺弱い系なので、映画やドラマや本なんかに感情移入して泣いたり笑ったりが忙しい方なので、映画館でも号泣したせいもあり、映画を見終えて家に戻ってきたらぼんやりとした頭痛がありました。
泣き過ぎると頭痛くなるのって何なんでしょうね??
すでに午前中にたくさん泣いてヘロヘロになっていましたが、昨日はお昼過ぎから「死のワークショップ」に申し込んでいました。
事前準備の項目の中に「泣けるタイプの方はタオルなどもご用意ください」とあったので、こりゃ、ワークショップが終わったら頭が割れるくらい痛くなっちゃうかも…とハラハラしつつ参加。
ワークショップは大きく分けて3つのワークの実践と講義・ディスカッションの時間になっていましたが、1時間近くをかけて行う「自分が実際に死を疑似体験するワーク」では、受ける前と実際に体験してみるとでは全然違う感覚にビックリしました。
死の疑似体験のワークに先立ってやったのが「色紙のワーク」というもの。
4色×5枚の色紙を使って行うと分かりやすいのですが、私はシンプルな付箋ピンク色のものしかなかったので、それぞ4つのグループが分かるように「①、②、③、④」と番号を記載すると同時に、それぞれのグループごとにまとめて貼り付け、自分でどれがどのグループの答えなのか分かるようにしておきました。
4つの設問は、モノ・コト・ビジョン・命に関する事柄で、まさかここでも「ビジョン」が出てくるとは思っていなくて、制限を全て取っ払った「純粋な欲望・夢・やりたいこと」を書く際に、めちゃくちゃ悶絶して捻り出しても3つしか出てこなくて呆然。
ビジョン、お前はまた私を苦しめるのか?!
とビジョンに殺気立ちつつ(?)、講師の先生に『3つしか出てこなくて…』と泣き言を言って時間を少し伸ばしてもらい、なんとか捻りだしたのですが、のちにコレが意外な結果につながりました。
色紙のワークで書き出したものを、次の「死の疑似体験」のワークで一つずつ丸めて捨てる作業をします。
本来はぐしゃっと握りつぶして床に捨てる(床に落とすことでより強い手放し感があるはず)のですが、私はギンちゃんや仁くんが近くにいて床に捨てたものを間違って噛んでしまったりすると悪いので、テーブルの端に丸めて山にすることにしました。
でもやっぱり、足元に落とすほうがワークとしてはより強力だったと思います。
死の疑似体験は「イメージワーク」なのですが、少しずつ体が病気に侵され、出来ることが少なくなったり希望が打ち砕かれていく中で、書き出したものを指定された数分だけ手放して捨てていく作業があります。
まだ病気が重くない状態の時には、付箋は20枚あって、そこから3つずつ手放すように言わる際に、多少考えることはあってもそこまで悩まずに手放すものを選ぶことが出来ます。
ですが、薬が効かなくなり希望が砕かれて行く段階になると、付箋として残っているものは「大事にしているもの」「手放すとなると葛藤するもの」ばかりになって行き、手放すように指示がある際にものすごく悩みます。
いよいよ自分の人生が残りわずか、多分あと1日もない…という状態になると手元に残る付箋は3枚。
正直、残り6~7枚あたりから「えーっ?!どれも手放したくないんだけど…」と思う気持ちの中で、厳選して捨てていくのですが、残り3枚になってそれを一つずつ手放さなくてはいけない時に、優劣が付けられないくらい大切なものだからこそ、自分の中で様々な感情がわき上がります。
最終的には呼吸が荒くなり意識が遠のいていく中で”最後の1枚”も丸めて手放すことになるのですが、私にとっては残り3枚になった時にすごくグッとくるものがありました。
私がもうすぐ死ぬタイミングで、手元から手放せなかった3枚の付箋の中身です。
③はビジョンの中の1つ。
私は死の直前まで「再婚してパートナーと家族になる」という希望を手放したくありませんでした。
どうしても、この付箋を丸められなかったんです。
この「再婚」のカードを手放す前には、④のグループである「大切な命あるもの」グループに別れを告げて手放していく必要があるので、ものすごく悩みましたが、私はどうしても『自分が一番大切で叶えたい希望』を最後まで手放したくない!!と思ったんです。
私の命があとわずか、という何も持てない状態になった時に残ったのは『ギンちゃんと仁くん、そして叶えたい希望』でした。
ビジョンなんて描けない!と殺気立ったはずなのに、私は死の直前まで「希望」を手放したくないと思っているんだ…ということに、自分が一番驚きました。
イメージワークの中でもう死がすぐそこに来ているタイミングで、1枚ずつ手放していく必要があるのですが、そこで手放したのは「再婚」でした。
そして最後、もうあとは意識もない状態になるタイミングで、どちらか1枚を手放す…と言われたのですが、私にとってはそのタイミングでギンちゃんと仁くんのどちらともお別れをしました。
全て、手放して死んでいきました。
最後の最後、亡くなる前の3つの深呼吸がとても味わい深く、「これが最後の呼吸です」と息の続く限り吸って吐ききったときに、改めて「死」というものはここで終わりで、もう新しい呼吸がないんだ…と当たり前のことなのに感慨深い思いでいっぱいになりました。
イメージワークが始まる前は、死に向かっていく途中で、私の心はどう変化するんだろう??と不安な気持ちもあったのですが、いざ死に向かって様々な感情を味わっていく中で、私は淡々と状況を受け入れていけたことにもビックリしました。
勝手に想像していた時には「不安」「怖れ」が大きくなっていて、耐えられるんだろうか?立ち向かえるんだろうか?と思っていましたが、疑似体験してみたことで「思っているよりも淡々と受け止められるのかもしれない」と思えたら、とても気持ちが楽になりました。
疑似体験の最後に、息を吹き返した私が自分の死を体験して伝えておきたいことや、自分が死を意識して残しておきたい言葉を『遺書として書くワーク』をやりましたが、死を疑似体験した直後なので、とても鮮明に感情が動いて言葉が出てきました。
私は最後の方まで付箋に書いて残していた「妹たち」へ遺書を書きましたが、10分という時間で書いた短い遺書の内容はこのようなものになりました。
妹1、妹2へ(ここには氏名が入っています)
あなたたちと姉妹として、今世を生きることができてヨカッタ。楽しい人生でした。
何もドラマチックでもなく、何もしてこなかった人生だと思っていたけれど、充分幸せで、もう充分だな…とスッキリしています。
手放すことは苦手で執着するかと思いきや、手放すことは意外と苦しくなくて、物は本当にポンと捨てられる…と苦笑いしましたが、最後まで捨てたくなかったものが「幸せだった、大切な時間の記憶」と「未来への希望」、そして「家族」でした。
銀太と仁くんを残して逝くことがやっぱり心配だけど、どうか2魂をよろしくね。ギンちゃんのフードのこと、仁くんの定期検査をよろしくね。
一足先に光になって待っています。
また絶対に会おうね。それまで少しの間、サヨナラ。
私の人生は、いい人生でした。
でも、もうちょっと好き勝手に行動してもよかったね。欲しいものを買って、好きなものを食べて、体験して、見て、触れて、はしゃいで、泣いて、そういうことはガマンしなくていいかもね。
ありがとう。大好きだよ。
2023.02.12 二人の姉で幸せだったマミコより
遺書のワークが終わった後で、死の疑似体験ワークで感じたことをシェアする時間があり、私は物質的なものはためらいなく最初の方にあっさり捨てたことや、大事な思い出を後半まで捨てずに残していたことから、遺書に「もうちょっと好き勝手に行動して体験すること」について触れたことを話しました。
そして、死に関してはもっと怖いとか取り乱すとか号泣するかと思いきや、淡々と死ねたことが意外だったと告げた後で、手放せなかったものに「再婚」があることを話そうとしたら、突然こみ上げるものがあって、言葉が詰まり、涙がホロホロッとあふれるのを必死でこらえました。
頭で考える…というものではなく、死を考えた時に感情が強く揺れて動くので、人生の中で大事なものがハッキリするんですよね!と講師の先生が笑顔で話してくれる中で、
それは多分、これから叶うね。
叶えたいものがハッキリ明確になったもんね。叶えて!!って湧きあがったね。
との言葉に、密かに涙腺崩壊しました。(泣いてないふりしながらサッと涙をぬぐう照れ屋なオレ…)
死ぬ体験の中で涙が流れなかったのに、最後まで残っていたものが希望だったと分かったら泣けてきたことがなぜか照れくさくて、泣くのを堪えましたが(厳密にはこらえきれていませんが)、自分が本当に大切に思うものは実は意外なものだと気付けるのも、このワークの凄いところだなぁとビックリ体験でした。
ワークの後で、ワークに関連する「死」についての講義で「そうなんだ!!」ということをいっぱい知れましたし、なんとなく『死について考えることは縁起でもない!』と思われがちな日本では、自分の命や大切な人の命の最後についてのことを意識していないことで後悔が大きくなったり、いざとなった時に深いグリーフを経験するんだな…ということも改めて意識し直せる時間になりました。
自分が何で死ぬかは選べないけれど、やりたい事を楽しむ人生にするためにも、やっぱり体に気を付けて過ごしたいものですね。