行動したらすぐに「自己肯定感」が高まるのを感じられるものではないからこそ、じっくりちょっとずつの自分の行動をほめてあげられるように。
テレビを見たら「奄美諸島・沖縄地方」はノロノロ台風の影響で、連日相当の雨風で大変なようですね。
さらに、九州地方や台風から少し離れた場所でも雨の影響が出そうだとも聞いていますが、「予報よりずっと軽くてよかった~」と言えるような経過になってくれますように。
私たちの暮らす新潟市は、台風による雨風の影響はないのですが、フェーン現象で今週はかなりの猛暑予報。
最高気温37度、最低気温が30度予報という見たことのない最低気温予報も出ているようでビックリ。
暑さや寒さといった外的要因でもストレスを感じたり、頑張ろうにも力が入らないくらい疲弊しちゃいますので、自分なりのペース配分を大切にしながら乗り切りましょう!!
昨日は「新潟まつり」のフィナーレを飾る花火大会でした。
私の暮らすマンションの外に面した階段から花火が見えるので、花火はそこから見ることが多かったのですが、歩いて10分~15分くらいの河川敷までいくと煤が飛んでくるくらいの近い距離で花火を見ることが出来ます。
コロナの影響で花火大会がなかったり延期されたり…と、河川敷まで行く機会がなかったのですが、今年はせっかくだからと、飲み物やお惣菜を持って花火鑑賞に行ってきました。
少しずつ日が暮れるのが早くなったとはいえ、7時手前でもまだほんのりと明るくてピクニック気分。
すっぴん&ドロドロに汗をかいて前髪がクセ全開だったことを忘れて写真を撮りましたが、ま、いっか!!
花火ってキラキラしてキレイですよね~。
その美しさを切り取ってご紹介しよう!とスマートフォンのカメラで撮影してみた所、花火というよりは「火の塊」のような写真が撮れて苦笑い。
あはは。これが、マミコ・クオリティ!!
でもね、ちゃんとキレイに撮れたものもあるんですよ~。
ね!
キレイに花火が撮れてるでしょ!!
↑ 小鼻を広げてドヤ顔してます
花火を見ると思い出すのが「虫」です。(唐突)
今もあるのか分かりませんが、コンビニやスーパーなどの夜遅くまでやっているお店では、光に誘われて虫が集まってくるので「誘蛾灯」と呼ばれるおとりの虫寄せの光があります。
キレイな光だな~と思って吸い寄せられると、バチッ!と虫は駆除されてしまう「悲しみの機械」ですが、私も虫だったら、きっとフラフラと誘蛾灯に吸い寄せられるタイプだと思うんですよねー。
で、花火ってメチャクチャキレイでキラキラしているから、私が虫だったら間違いなく花火に向かって飛び込んで「あっ!」と思う間もなく絶命しちゃうだろうなぁ…って、毎回花火を見るたびに思います。
ほんと、人間でヨカッタ。
数年間はコロナによる行動制限もあり、こんな風に河川敷で花火を見ることができることが「当たり前」なんかじゃないんだと気付き直したからこそ、今年の花火大会で伸び伸びと自由に芝の上で花火を見れて嬉しかったです。
来年もまた、元気に心地よく花火を見れますように。
* * *
私は自己肯定感が低く、自分のことを少しも好きだと思えないまま生きてきました。
そんな自分を変えたい!
自己肯定感を高めて、恋愛も仕事もうまくいく私になりたい!
と、アレコレを試しながら撃沈し、今世では自己肯定する感覚を身につけるなんて無理なんじゃないか?!と思うことも沢山ありました。
自己肯定感という言葉に出会ったのは、1度目の夫婦問題でつまづいたときでした。
自分が自分を肯定して愛する…だとぉ??
私は私のことを少しも好きじゃなかったので、この言葉に出会ったときは衝撃でした。
さらに私がガーーンと思ったのがこのような言葉でした。
– – – –
自分が嫌いなものを人に差し出すって失礼ですよね?
自分を嫌いなまま、相手に愛してよ!と求めるのは、「私、これが大嫌いなんだけど、あなたはこれを愛してよ!」と理不尽な要求を突き付けているのと同じです。
– – – –
というようなもの。
確かに…
自分が嫌いなものを「私には良さが全然分からないけれど、あなたは好きになってよね!」って言うのって、かなりジャイアン思考ですよね。
私が私を好きだと思えないのに、そんな私を愛してよ!って、どんだけ~ ← IKKOさん
24時間、365日私の側にいて離れられない存在は私です。
その「一心同体」の私が、私のことをけなし、嫌い、邪険にして否定していたら、私はいつまでたっても生きづらくてしんどいまま。
自己肯定感を高めることで、自分を好きになって生きやすくなりたい!!
自分を好きになって、好きだから大切にしてね♡って言える私になりたい!!
生きづらくてしんどかった私を助けたいと思い、自己肯定感を持てるように、本に書いてあることやインターネットで得た知識、色んな人のブログで言われていることを『完璧に実践しよう』としました。
自己肯定感が低い上に、完璧主義傾向が強かったので、うまくやれないことが許せずでした。
自分を愛することを実践しようとして、実戦が下手だ!と逆に首を絞めて自分を嫌いになることを積み重ねるという悪循環。
もうほんと、トホホでした。
また、生きづらくて苦しかったので「すぐに変化や効果を感じたい」という思いも強く、焦ってから回りすることもいっぱいでした。
すぐに結果が欲しいと思い、「一生懸命取り組んだ」「力を入れて頑張った」からこそ目に見えてすぐに感じられない結果にもどかしい思いをしていたということでもあるのですが、
自分を助けるために行動しているはずが、その行動によって自分をより嫌いなるという本末転倒なことをしている
ということに気付き、急がば回れ!でゆっくりやってみようと思い、コツコツと続けたのが『毎日の自分褒め日記』というものでした。
私はマメな性格でもあったので、コツコツと5年程継続したのですが、これが全く効果がありませんでした。
自分をほめて喜ばせたい!というよりは、「自分を5個ほめ続ければ自己肯定感があがるんでしょ?」と、毎日義務的に何かしらをほめることを捻りだして書き出すものの、毎晩「あぁ、なんとか今日のノルマを終えた…」という気分で、少しも心が弾む時間ではありませんでした。
寝る前に5つの自分褒めをするのはとっても素敵なことです。
私は今、寝る前に3つの「幸せ」や「心地よかった」「嬉しかった」を数えて眠っているのですが、昔やっていた『義務的でこれをやればいいんでしょ?』という、どこか取引のような自分褒めとは違い、3つの心地よさを数えた後は「ふふふ」と思わず笑顔になれる、あったかい時間を持てています。
5年間の自分褒めタイムは、自分に合うやり方が出来ていなかった、私にフィットする方法ではなかったのですが、それだってやってみたから言えることです。
それにね、結果は願わしいものではなかったとは思いますが「5年継続した」「やった」ということは、とてもすごいことだと思うんです。
頑張ったね!すごいね!って、自分に言ってあげていいことですもんね。
自分に優しくする、自分を愛する、自分に思いやりの目を向ける。
これらの「自分に向けた作業」は、どちらかというと小さな努力をコツコツと続けて、ある時気が付くと「ずいぶんと楽になっている」と気付くような地味な作業がほとんとです。
今日、力を込めて実践したら、明日には自分との仲が劇的に良くなって世界が明るくバラ色に変わる!なんてことはなく、何となく少しずつ肩の力が抜ける感じを体験したり、自分の失敗を責めなくなってるかも?!と、ジワジワ小さく変化していることに気付きます。
自分のための「小さな努力」「小さな行動」は、すぐには芽を出さず、芽が出てからの成長もゆっくりだったりします。
ほら、「桃栗三年柿八年」って言う言葉があるように、実を結ぶまでには時間がかかっちゃうこともありますし、実を結ぶまでも人によって時間がマチマチですものね。
今日やって明日に変化がある!というような、いきなり実を結ぶことはないけれど、自分のための「小さな小さな一歩」を踏み出さない限り、実を結ぶことはありません。
桃も、栗も、柿も、種を蒔かなければ、何年経っても決して実をつける日が来ないのと同じです。
でねでね、この「小さな努力」「小さな一歩」という行動を、多くの人は「分かっていてもやらない」んです。
うーん、やらないではなく『やろうとしてやれない』んですよね。
だからね、もしもあなたが自分を愛するために、今日できることをやってみたとしたら、それがたとえうまくやれなかった、継続できなかった、結果に結びつかなかったとしても、もう十分にスゴイことをしたって褒めていいんです。
ううん、ニッコリ笑って自分をハグして「偉いね!」って言ってあげてください。
小さな行動・小さな努力すら、ほとんどの人はやってみよう!と思いながらも実行できないんだから、あなたは「やってみた」という時点で、もうメチャクチャすごいんだから!!
私の「やり方が合っていなくて効果がでなかった5年の作業」だって、私は笑い話にしていますが、決してバカにはしていません。
何とかして自分を助けてあげたいと思って自分のために行動した「価値ある5年」だと思っていますし、実を結ばなかったとしても自分を愛そうとした過去があることを、すごいぞ!って誇りに思います。
もしも今、自分との関係をよくするために行動しているのに、思ったような実を結べていないとしても、何か自分のために「動いた」ということをほめてあげてくださいね!
また、疲れてしまって立ち止まったり、継続できずに3日坊主になることを繰り返していたとしても、そんな自分を決して責めずに、たった1㎜だって、今ここで足踏みしたり停滞していたって「ちょっとだけでも動いた自分」に、ちゃんと『いい子、いい子』って笑いかけてあげてください。
やってみた、というだけで褒めるに値しますから、うーーんと自分に柔らかい視線を向けてあげて、ゆっくりじわじわと自分との関係を愛おしいものに変えていけますように。