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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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人生の中で「1~2年」脱線しても、意外と大丈夫だから

なんかいいものもらってきたんですね…

今日を含め後2日で9月が終わるなんて、早いなぁ。
10月、11月、12月…あっというまに「年末」なんですよね。ビックリ。

さて今日はワタクシ、「誕生日月に1日取得できる休日」を駆け込み取得することができましたー。

本当は昨日を休日にしたかったのですが、急ぎ対応の仕事があり取得を断念。
来月に休日を持ち越せないため(誕生日月に取得できないと消える休日)、どうしても取る!!と執念を燃やして勝ち取りましたー。わっしょい。

いや、普通に予定調整して休んだだけですけれど。

金曜日に休みが取れたので3連休。嬉しいな。

誕生日休暇制度で「自分のために」使える嬉しい休み。
だから自分を喜ばせる時間の使い方ができたらいいな~と思い…

事前に病院を予約しておきました。

会社の健康診断では、若干の貧血気味(といってもすごく改善)と肺嚢胞、心電図の引っ掛かりはあるものの、病院を受診する程ではなく、基本は健康体。

が…
子宮を摘出して貧血が随分と改善されたのに、とにかく眠気とダルさが強い!
亜鉛不足を補うためのサプリも飲んでいるものの、やっぱり眠い。

顔の赤みも「酒さ様皮膚炎ではないか?」と見つけてもらって治療しているのに改善しないし、お腹の傷の感覚のなさも気になるし…

と言うことで、検査施設を備えている病院でしっかり診てもらうことにしました。

今時の病院って、事前にWEB予約する際に「問診」をフォームで記載するので、先生と対面する際には主訴的なものが画面に映し出されていて伝わっていてビックリ。
主訴が事前に伝わっていることもあり、当日には他のことを聞いてもらえるのでスムーズでした。

事前問診で両親の持病を記入する欄があり、母が「橋本病」という甲状腺の病気を持っていることを書いたのですが、便秘や足の冷え(無自覚でしたが先生が触れて「冷えてるね」とのこと)、疲れやすさなども甲状腺の病気の可能性がゼロではない…とのことから、血液検査をしてもらいました。

同時に、子宮腺筋症や卵巣嚢腫などの婦人科系の不調と、マッサージで言われたお腹やお尻・足にかけての冷えは「血の巡り」も関係しているのだろうということから、『桂枝茯苓丸』という漢方薬が効くと思う!と処方してもらいました。

人生初の漢方。気になっていたので、効いてくれるといいな~

じゃじゃーーん!
人生初となる「漢方」を飲むことになりました~。

以前、仕事先の女性が「PMSが酷くて漢方を処方してもらったら、劇的に良くなった!!」と絶賛していて、私も漢方医を訪ねてみたいと思いつつ、機会を逸していました。

漢方医での処方ではありませんが、先生の説明によると処方薬は「お腹周りの血の巡りをよくしてくれる」漢方。
下腹部やお尻~足にかけての冷えの解消と、お腹の血流が良くなり術後の傷周りも改善するかもしれないとのことでした。

さらに、PMSにも効果がある漢方のようで、生理がなくなりPMS期間が分からず、それでも若干のホルモンバランスの影響で気分が落ち込んだりする私にはピッタリ!!

めっちゃ、ありがたい!!

漢方を飲んでの体調の変化も含め、血液検査の結果を2週間後に聞きに行くことになりましたが、自分の体の不調を取り去るべく、病院へ行ってみるというのもまた一つの「自分を大切にすること」なんだなぁ~と気付けました。

漢方と聞いただけで「効くはず!」とプラセボる気分満々なので、きっとお腹周りがあったかくなるのも時間の問題のはずDEATH。

* * *

先日「レールから外れる」ということについて書かれていたものか、誰かの本の告知記事だったか…というインターネット記事をチラッと目にしました。

内容はすっかり忘れてしまったのですが「日本人はレールから外れる」と、その後の軌道修正が難しい…と感じてしまう人が多いというような話だったのですが、これ、なんかとっても分かる気がするんです。

物心ついてからずーーっと、頑張ることが当たり前で、「世間の一般常識」から外れないことがヨシとされていて、ちょっと横に逸れたり、立ち止まったりすると『レールから外れた』ことで気後れしたり焦ったり。

『自己責任』という言葉も近年よく耳にしますが、なんというか、人生に余白や余裕がない感じってありませんか?

人の命を預かる車のハンドルやブレーキですら、少しの「遊び」が設けられているのに、人生には少しも「遊びの余白」がないって、そりゃ、しんどくなっちゃいますよね。

車のハンドルやブレーキに遊びがないと、ちょっとの踏み込みやハンドル操作でグインと方向転換してしまったり、急ブレーキになって危険性が増します。
「遊び=ゆとり」があることで、操作の安全性が高まるのだそう。

他にも、余裕がないと部品同士が接触して抵抗となり、動きが悪くなったり部品の破損につながることもあるので、やっぱり「ゆとり」を設けるのは大事なこと。

機械にも遊びが必要なように、私たちの人生も「ギチギチ」にし過ぎると疲弊しますし、どこかに少し「遊び=ゆとり」があった方が楽にやれると思いませんか?

周りは基本「レールの上」を安定して走っていますから、レールから外れるってとても怖いことです。

でもね、人生は本当に何があるか分からなくて、予期せぬ一時停車をしてしまうことがあるんですよね。
たとえば病気になって休まざるを得ないとか、家族の事情で引っ越さなくては行けないとか、予定していた人生設計通りに進まずに途方に暮れたり…

そんなことがあるのが、人生なんですもんね。

でも思うんです。
人生の中の「わずか1~2年」、レールから外れたとしても、案外大丈夫だよって。

1~2年と言いましたが、ずーーっとレールから外れていても大丈夫だし、レールの上をずっと走るにしても「特急」でい続けるばかりではなく「鈍行」でもいいし、

予定調和の人生とは異なったとしても、意外となんとかなっていくものなんです。

* * *

私が人生のレールから外れた最初の経験は、中学3年生の終わりでした。

志望校に合格できず、4月からの行き先がなくなりました。

次の年に高校受験を目指すものの、必ずしも受かると約束されている訳ではない、不安な浪人生活がスタートしました。

多感な年齢の1年って、すごく大きな差だと思っていました。

だって、たった1つ学年が違うだけで「先輩・後輩」って区別されるのを体験して来ていて、だから1年遅れを取ることがすごく怖かった。

中学と高校では、やはり世界は違っているようで、先に高校生になった同級生たちから聞く話はキラキラ輝いていて楽しそうで、自分が取り残されて惨めにも見えました。

塾に通っていたとはいえ行き場がない状態。いわば1年の夏休みを過ごしているような状態で、周りが部活やバイト…という話を聞く中で、どんどん差が開いてくような感覚にも襲われました。

1年「も」遅れてしまった…
もう人生は終わった…

とすら絶望した時期もありました。

翌年合格できたとしても、一緒のクラスで学ぶのは「1つ年下」ばかりになりますし、私だけが浮くんじゃないか?ということも不安でした。

考えれば考えるほど「もう終わりだ…」と思っていたけれど、でも実際には終わりなんかではなく、私は翌年に高校生になりました。
途中下車をして1年寄り道をしたけれど、結果的に私は生きていたし、周りとも馴染めて楽しく高校生活を送ることが出来ました。

社会に出る際に履歴書を書く時に「1年の間」があることをどこか引け目に感じていましたが、特に問題となることもなく、いつの間にか「1年の”寄り道”期間があったこと」すら思い出すことがないくらい、些細な脱線期間になっていました。

他にも、特に不満はなく自分の中では「仲良し・順風満帆」に見えていた夫婦生活が壊れてしまい、絶望の中にいた数年間は、自分でもあんまり記憶がありません。

ぽっかり空白のような時間にも、それなりになんとかやってきてはいたと思うけれど、でも自分の中では記憶が断片的で、ぽっかり空いた「穴」の中にいたような時間。

望んだ結果にはなれず、また仕切り直して生きていくことを決めて歩き出したけれど、サクッと自分のために行動できる人から見たら「脱線していた時間」を数年生きていたと思います。

すごくしんどかったけれど、それでもやっぱりなんとかなりましたし、私はまた普通に生きて、楽しいことを楽しいと笑って、自分の前のレールをマイペースに走って生きています。

寄り道だった時間には、痛みや不安といった感じたくない感情が常に側にいました。

できれば体験したくはなかったけれど、その期間に見た世界・体験したことは自分にとっては絶対に無駄なんかではないと思っています。

無駄に見えるとしても、心の栄養分だったり、大きな自分に成長するきっかけだったり、優しさを持つための期間や、同じ痛みを持つ人の光になるための『大事な準備期間』に変わりはありません。

脱線した1~2年、もっともっと長い時間も、ぜーんぶ人生の大切な一部。

レールから外れても、また新しいレールを見つけて走り出せるし、レールが人生に必要ないことに気付ければ、レールのない道を自由に生きることだって素敵ですものね!

今もしあなたが、人生のレールから途中下車して「遊びやゆとり」の時間を生きていることに不安を抱えていたら、どうぞ怖れすぎないでください。
…って渦中にいるときはそんな簡単に怖れを手なずけられないから、いっぱい感情が動いちゃうのはしょうがないけれど、ね。

人生の中のある時期、レールから外れても、案外なんとかなっちゃいます。

予期していなかった人生を歩くことになっても、予想していなかった景色だってちゃんとキレイだし、ご飯も美味しく感じられるようになるし、意外と大丈夫だったから。

大丈夫、きっと大丈夫。
大丈夫かどうか分からなくても、でもやっぱりきっと、大丈夫だから。

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