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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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入院していた時に書いていた言葉と、眼科に行ってきたこと。

マミコちゃんがメメのカイカイが辛いから苦手なビヨインに行ってきたでちよ

昨日の午後に「自然豊かな場所」で花粉の洗礼を浴びてしまい、もうとにかく目がヒリヒリするわ痒いわ、涙で目元の皮膚がヒリヒリする上に瞼まで腫れるわ…で、今日はお昼休みを利用して眼科へ行ってきました。

鼻も出るので耳鼻科なのか眼科なのか、はたまた総合的に内科なのか?と悩み、一番つらい(症状が重い)のが目だったので、近くにある眼科に電話をして聞いてみた所、アレルギーだと分かれば花粉症の内服薬も出せますから来ていただいてOKです!とのこと。
ならば速攻!ということで、眼科に行ってきました。

目に試験紙のようなものをはさんだり、暗い部屋で光を見たり、先生の指示でレンズを当ててもらって目の状態を確認してもらったところ

アレルギー反応がありますね。
花粉症だね。

と、数年間抵抗していたのも虚しく、あっさりと花粉症認定されました。とほほ。

とはいえ、もう痒いは鼻は出るわで、自分でも抵抗せずにお薬をもらった方がいいと思っていたので、納得するいい機会になりました。

花粉症は想定内ではあったものの、私はコンタクトを使っているわけでもないので(コンタクトでアレルギーが出て以来、ずーーっとメガネ生活です)眼科に行くのは十年以上振り??というくらい久しぶりだったのですが、先生が「ちょっと気になる変化があるから、眼の写真と眼圧検査をしましょう」と言われ、予想外でしたが別件で眼の検査もしてもらいました。

先生から「ご家族に緑内障の人はいますか?」と聞かれたのですが、父方・母方の祖父母を含めて緑内障という話は聞いたことがないのですが、何やら視神経のくぼみ(?)みたいなものが緑内障の変化と著しく似ている症状を見せているとのこと。

眼圧・眼の写真の結果から、目の内部に緑内障らしき症状は見つからずにホッとすることができましたが、先生曰く「緑内障は自覚症状がなく進行し、進んでしまうと視力は取り戻せない」のだそうで、早期発見・早期治療が大事なんだそう。
幸いにも緑内障ではなかったものの、先生的には目の表面の何かが気になるようで、年1の検査をしてください!!と言われたので、花粉症の季節に毎年検査をしようと思います。

マミコの目の痒みの救世主ですね!!


1日4回。
朝・昼・晩・寝る前に使える痒みを抑える目薬をもらってきたので、さっそく帰宅後にアイボンで眼を洗って目薬をポタリ。

即効性はない…と言われていましたが、プラセボ効果でもなんでも「花粉対策の目薬だから!」と思い込むことで、若干ではありますが痒みが落ち着いた…と思っていますが、まだ痒さは継続中です。

内服薬とステロイドの目薬も処方してもらいました

眼科なので鼻に関しては検査をしたりは出来なけれど、内服薬は出せますよ!と言ってもらい、鼻が出ることを伝えて薬を出してもらいました。

目薬は2種類で、エピナスチンという痒みを抑える目薬を使っても痒みが酷い場合に、もう一種類のステロイドの目薬を使うようにとのことでした。

どんな病気であっても「なりたい」と思うものはありませんが、できれば花粉症を知らずに一生を終えたい…と思っていましたが、残念ながらこれからはお付き合いしていくことになりました。
抵抗しているよりも、認めちゃった方が体は楽になると思うので、薬の力を借りて目のかゆみや鼻の不快感が少しずつ楽になっていけますように!

* * *

病院繋がり…と強引な展開をさせるのですが、2月に入院したいた際に「思った事」「考えたこと」をメモ帳アプリに書いていたものがありました。

すっかり忘れていたのですが、今日、眼科の診察待ちの時間にそのメモを読み返してみたら、入院生活で気付いたことや発見したことがあったので、自分でも忘れてしまわないようにここに発表しておこうと思います。

一つ目は『受け取る・助けてもらう』という、私にとっては苦手科目について。

自立ってなんでも自分でやる・人の手なんか借りないことで、そうすることが人に迷惑をかけない生き方なんだ!と思ってきたけれど

私は誰にも「助けさせない」を選んでいたんだな…

私は好きな人や大切な人の事を全力で助けたいし力になりたいと思うように、私の事を好きで大切だと思っている人の「助けたい」にNOを言っていたんだね。Oh,Nooooooooo!!

それってどれだけ周りの人をがっかりさせていたんだろう。

迷惑をかけない代わりに、愛したいという気持ちもはじき返していたんだね。

病院でメチャクチャ大切にしてもらって、与えてもらうって嬉しいと知れたから、きっと開腹手術は私の人生に必要だったんだなぁ。

実は、この手術の数年前に「腹腔鏡手術」で卵巣嚢腫を摘出するために入院をしたことがありました。
当時は別居はしていたものの、まだ彼の手を離せずに揺れ動いていた頃で、自己肯定もできなかったことに加えて、自立バリバリで人に頼るなんてダメだ!!と自分を孤立・奮闘させていました。

手術・入院の事も、家族にも言わずにシレーーッとやる方法はないのか?と先生に聞いたのですが、全身麻酔での手術のため、残念ながら手術中に付き添いがいないと手術が出来ないという事で、しぶしぶ妹に打ち明けて付き添いをお願いしました。

こんな私の事で迷惑をかけたくない、心配させたくない!
病気になるなんて弱い私でごめんなさい。

こんなような気持ちと、何に対する恥ずかしさなのかは分からないけれど、「私は恥ずかしい存在だ」という意識が強かったので、恥ずかしさと申し訳なさに板挟みのような状態で、私の事を気遣ってくれる全てに「そんなのいらない!!」と全抵抗していました。

なので、ギンちゃんと仁くんをお願いするだけでお見舞いには来なくていいし、入院も退院も自分一人で手続してタクシーで帰るからと、何にもしないでね!!と助けになりたいという家族の思いをピシャッと跳ね返すようなことを言ったりもしました。

実際には付き添いが必要だったり、雪の季節で足元が危なくて退院のお迎えを頼む必要があったり、持ち前のウッカリを発揮して「保険証」を忘れたので持ってきてもらわなくてはいけなかったり…と、家族に助けてもらったのですが、そのすべてに『ごめんなさい』の気持ちがせりあがって苦しかったなぁ。

でも、今回の入院は違っていました。

自分の事を大事に思えるようになると、周りの人の事も大事に思えるようになります。
だから、自分が「与えたガール」なように、周りの人も私が辛い時や弱っている時に「何かしたい」と思う気持ちがあるんだ!という事を想像することができる「気持ちの余裕」のようなものも生まれましたし、

大切な私は、自分以外の人からも大切にしてもらっていいんだよね。

と、自分が助けてもらうことに対して、ちゃんと「納得」できていたのが一番大きかったと思います。

こんな私なんて…と言っていた私ではなく、私は足りていないところもあるけれど、愛されてもいいし足りていない部分は助けてもらっていいんだもんね!と言えるようになったのは、受け取るという面で大きな力になっていると思います。

今回はコロナもあって、付き添いもお見舞いも制限があってお願いできることは限られていたけれど、入院前からお願いしておきたい事は頼んで委ねましたし、必要があればヘルプコールも出すからね!と伝えてお願いしていました。

また、前回の手術とは違って開腹手術ゆえに「手術後すぐには動けない」という『もう、お任せするしかないのよ状態』ということもあったのですが、看護師さんには本当に思いっきりすべてをさらけ出して助けてもらいました。
何しろ、尿カテーテルが付いているのでおむつでしたし、点滴や痛み止めが付いている時には体を拭くのもサポートしてもらわないとうまくやれずで、迷惑云々…なんて恐縮しても、助けてもらわないとどうにもならなかったですし、ね。

前回の入院時にも、色々と看護師さんたちにはお世話になりましたが、とにかく消えたくなるような「恥ずかしさ」「申し訳なさ」で苦しかった記憶があるのですが、今回は「ありがとうございます」の気持ちの方が大きくしっかりと感じられる体験となりました。

もちろん、私はまだまだ自立戦隊・モジモジーヌ(レンジャーカラーは水色)なので、人に頼るのは苦手科目ではありますが、出来ない事を助けてもらえることに素直に感謝の気持ちを持てたことで、いかに今まで「勝手に跳ね返して愛を拒絶していたのか」に改めて気付くことが出来ました。

分かって欲しい、愛して欲しい、大事にして欲しい、察して気付いて欲しい。

そういって「欲しい欲しいお化け」になっていたくせに、実際には欲しいものを差し出そうとする人がいたら全力で逃げていたのは私だったなんて、ほんとーにどんだけ滑稽な自作自演をしていたのか…

マジウケル!!! ← ギャル降臨

いや、本当に笑っちゃいますよね。
というか「ズゴーッ」となっちゃうようなことを全力でやりながら、愛されない事で真剣に悩んでいたんです。

愛されないのではなく、愛される価値がないと自分が思い込んで、愛させなかったなんて。
そんなことやってたなんて、全然知らなかったよーーー。

自分を大事なものだと思う事って、周りからの思いや愛を受け取る・気付くためにも、本当に大事な事なんですよね。

もちろん、自己肯定出来ればそれに越したことはないけれど、いきなり自己肯定なんてできませんから、まずは「自分をちょっとだけ大切に扱う」「自分に暖かい目を向けてみる」ことから、自分を思いやる練習をしていって、少しずつ自分の事を愛せるようになっていけばいいんですもんね。

愛されるためにも、助けや愛を受取るためにも、幸せだと笑うためにも、ベースになるのはやっぱり「先に自分が自分を大事に愛すること」なんです。

自分が自分の価値に気付く、自分が自分を大事に扱う、これが出来るようになることで少しずつ「与えてもらってもいい」と腹を括っていけました。
受け取ることに腹を括るって、なんだか変な言い方だけれど、自立をこじらせて愛させないを選んでいた私は、愛してもらう事に対して

えーい!煮るなる焼くなり好きにしろ!!
丸腰で愛されてやるからな!!!

という、謎の上なんだか下なんだか分からない目線で、受け取っていいんだ!と何度だって自分に言い聞かせ続けて、少しずつ逃げ出さずに「愛してもらう」練習を積み重ねています。

まずは自分が自分に与える。

自分が与えることであれば、抵抗しないで受け取れますもんね。

そして、受け取っていいんだという事を自分が分かるようになると、人からの「援助の手」「喜びを感じるために与える」ために差し出されるものを掴んでいいと許可を出せるようになっていきます。

入院に際して、たくさんの人からメッセージをもらったり、プレゼントやお見舞いも貰いました。
家族からの様々な助けや援助も、看護師さんはじめ病気の時に支えてくれた沢山の手も、仕事を休ませてもらう事も、与えてもらったそのすべてが暖かく嬉しくて、素直に「ありがとう」と思える私になれていました。

人は「諦めなければ」変わっていけるんですよね。
変わるというか、ちゃんと愛されて大事にされる自分を取り戻すというのかな??

そして、いつからだって仕切り直せるし、つまづいたって立ち止まったって、自分のために努力したことは全てちゃーーんと糧になっていて、またリスタートした時にその土壌が役に立ってくれるものです。

私なんてこじらせまくって、もう生きる意味すら分からない…と絶望してからが「自分を肯定するための道」に繋がったのですし、本当に、いつどうやって自分と仲直りするきっかけをつかむかなんて分からないんですよね。
自己肯定感を持つなんて今世では無理だろうと諦めていた私なのに、「私は私をちゃんと肯定する力」を持つことが出来ましたから!

自立で受け取り下手さんになってしまったのには、過去にいっぱい「頑張らなければいけない」と思わせるほどの体験や出来事があったからです。
そして、頑張り屋さんだから自立して愛されない鎧をガチガチに着込んだんです。

私って、どんだけすごい力を自立することに向けて生きてきたのよ!
本当にすごいよね。私は本当に頑張りやさんだよね。
愛されるのも、受け取るのも、怖くなっちゃうくらい一人で物事に向かい続けたんだもんね。
もう十分、私は頑張ったから、これからは愛されていいんだよ。
もうたくさん、私は周りに与えることが出来る力を持っているから、大丈夫だよ。

そんな風に自分に言ってあげて、自立できるほどの素晴らしい力を誇りつつも、今度はちょっとその力を緩めて「周りに愛させてあげられるゆるみ」を持てるようになっていけるといいですね。

いざとなったらすごい力で自分や大切な人のために立ち上がれる「自立戦隊」の力を持っているんです。
そこに「愛させる隙」「欠点を補ってもらうコツ」を掴んだら、よりパワーアップできるわけですもんね!!

愛されるためにも、まずは自分が自分を愛することを少しずつ始めてみませんか??
始めてみても足踏みしたって、休憩したっていいんだから、無理せずに自分にちょっとだけ優しくしてあげませんか?

★4月のカウンセリングスケジュール

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