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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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正しさは「=幸せ」ではないと知ったから、そこにこだわるよりも幸せであろうと決めた事。

おはよございますです。 仁が朝から遊んでいた親友のヒツジちゃんと 並んで日向ぼっこしてるですよ

今日も爽やかな青空の広がるここちよい初夏。
扇風機と網戸のWの風がちょうど良く過ごせていますが、きっともうじきエアコンを入れないと「あちーー」とバテるのでしょうね。

先週は咳が一時的に悪化してヒヤッとした仁くんですが、このところは落ち着いて元気に走り回っています。

大親友のヒツジちゃんを投げては咥えて帰ってくるという遊びも、2カ月ほど前には1往復すると咳き込んで遊べなくなる…という状態だったのに、今では元気いっぱいに何度も追いかけて行き、こちらが「もういい??」と遊ぶのがめんどくさいと思えるくらいに元気に走れるようになりました。

今朝も元気いっぱいにヒツジちゃんと遊んでいたのですが、今日はトリミングサロンで久しぶりのシャンプーカットをしてもらうため、先ほどサロンに預けてきたため、取り残されたヒツジちゃんとギンちゃんが並んで日向ぼっこをしていました。

先だって爪切りと爪の間の毛だけカットしてもらっていて、術後1か月が過ぎたタイミングでお家でシャンプーはしたものの、手術用に剃毛した部分と伸びた部分の差も激しくなっていたので、今日は久しぶりのサロンでキレイにしてもらえるのが楽しみです。

* * *

私は小さい頃から「不安症」を持ち、同時にちょっとだけ「神経質」な部分を持っています。

また、母が信仰していたキリスト教の教えでは「正しい事を行う事」について小さなころから学んでいたこともあり、罪悪感というのも人一倍強く持っていました。

神様は心の中だって見えるのだから、悪い事やよこしまな事を考える事や、人への妬みや嫌悪などの感情が湧くことすら「いけない事(罪深い事)」だと思っていて、すごくしんどい生き方をしていました。

勿論、教義の中心は「愛」なので、私が勝手に『正しくある事』にフォーカスして自分をがんじがらめにしていただけなのですが、割とつい最近まで私にはたくさんの【ねばならない】という観念(マイルール)がありました。

うっかりが標準装備なのに、少しでも完璧に近付けなければならない!

と、自分に対する「いい・悪い」のジャッジは厳しく、正しさへのこだわりも強いものでした。
基本は自分自身に対して…ではありますが、周りの人(特に身近であったパートナー)に対しても、私のルールを押し付けたり正しさに固執して辟易させたことはきっとたくさんあったと思います。

正しさ(や正解)にこだわっていた時は、小さなことにイライラして勝手にストレスを溜める事も多かったように思います。
道徳の教科書に出ているような「人の気持ちを思いやる事」をしたら、きっとこんなことはしないでしょ?!と、自分とは違う考えや行動の人を見てガッカリしたり、私が思っている「間違ったやり方・悪とされるやり方」を平気でやってしまう人に対する言いようのない怒りのようなものも抱えていました。

自分の中の「正しい事」への基準をドンドン上げる分だけ、到達できない自分を否定しますし、周りの人が理不尽にも見えるようになり、今思うと『ガッチガチで息苦しい』生き方をしていました。

でもね、私は「正しく生きる事」が大事でしたし、そうすることで罪悪感を少しでも感じないようにと必死で自分を守っていたんですよね。

…と、過去を振り返って責めるよりも「しょうがないよね、そうするしかなかったよね」と言ってあげれるくらい、自分に対して激甘な今ですけれど。えへ。

私の心の中に「正しさポリス」がいて監視をしているので、基本的には「真面目で正しいとされる事」を行っていました。
とかいいつつ、咄嗟に小さなウソをついたり苦手な人を避けてみたりと、不完全ゆえに完璧な正しさになんて到達していないのに、それでも正しい私であり続けようとしました。

できるだけ正しい行いを心がけているのに、私は大好きな人から手を離されました。

生涯をこの人と添い遂げたいと思って結婚した相手が、私との結婚生活を解消したいと言った時に、とにかく自分を責めました。

何がいけなかったのだろう?
何が足りなかったのだろう?
何が悪かったのだろう?
何を間違えたのだろう?

そして自分責めをしている中で、彼には「好きでお付き合いをしている人」がいると知りました。

いわゆる「不倫」と呼ばれる関係になり、私にとっては倫理にあらずな不貞行為を彼と彼女は行っています。
ここで一気に「彼らが加害者」「私は被害者」という図式が出来るのですが、この時に気付いた事が

人の心は「正しさ」では縛れないということ。
そして、正しさを主張しても人の心は戻る物ではないし、正しいとされる側の私は決して幸せではない、ということ。

周りに対して私の置かれた状況を話せば、誰しもが「マミコは悪くないよ!」と言ってくれたはずです。
確かに、結婚という制度は「この人と家族になって生涯を愛することを誓います」と寄り添って生きることを証明する事でもありますから、他に好意を持った人がいるから結婚を解消したいというのは、私の暮らす世界では「人を傷つける行為」で決して正しいとされるものではありません。

私はしばらくの間は「私は被害者だ」と打ちのめされていましたし、正しさを武器に「夫婦関係は解消しない」と主張すれば私の要求が通る物だとも知っていましたが、

正しさに固執しても、私はちっとも幸せではありませんでした。

あぁ、正しい事を行い続ければ幸せになれると思っていたけれど、正しい事が幸せなんじゃないんだなぁ、と漠然と思ったのがこの体験を通してでした。

正しさにこだわっている限り、私は被害者でいなくてはいけないので加害者側である「彼と彼女」を許すことはできません。
許せないってしんどいものです。
誰かを許さずに罰せようとしている間は、幸せなんて感じられませんものね。

じゃぁ、不倫をして家を飛び出し、彼女を呼び寄せて彼の実家で同棲・妊娠を経て出産をした「彼と彼女」に対して、私が傷つかなかったか?と言えば答えはNOです。

彼らも彼らなりの痛みや不都合、もどかしさや罪の意識など、私には分からない「彼らの感情や事情」があったとは思いますが、それを理解しようとは別に思いません。
(彼は私と話をする際に、傷付けたと思っているし申し訳ないという事は幾度も言っていましたから、罪悪感はいっぱい感じていたと思います。)

私は失恋をした。
私が大好きだった人が、私ではない人を好きになって選び、そのことですごく悲しい思いをして傷付いた。
そこに正しい・正しくないを持ち込むから自己防衛しちゃうけれど、とてもつらかったな、でいいんですよね。

結婚をしていたので「正しい・正しくない」(お付き合いであっても浮気はいいものではないですけれども)が分かりやすいものでしたから、どうしても正しさを武器に自分を守ろう!彼を何とか取り返せないか?という思いは強かったけれど

その間ずっと、私は正しい側にいるのに幸せではありませんでした。

そんな時に、西原理恵子さんの本を読んでいて出会った言葉はずっと心に引っかかっていました。
その言葉は、野村沙知代さんの言葉なのですが

正義はいろいろあるのよ

というもの。
あぁ、確かに私にとっての正義の弁をふるっても、彼らには彼らの側から見た正義があって(もちろん「不倫」の是非を問えば、誰かを傷付けるという罪の意識はあると思います)、正しさってなんだろう??

私は「正しくあることで幸せでありたい」と願っていたんだな。
正しさを求めていたのは、間違いを犯すことで不安や罪の意識を感じず、真っすぐであることで「愛されたい」と願っていたんだな。

正しい = 幸せになれる!と思い続けていたんだ、って。

その後、アンパンマンの作者である「やなせたかしさん」の著書にあるこの言葉は、より一層私の中の「正義」「正しさ」について優しい教えをくれるものでした。

正義はとても不安定なもので、ある日、突然逆転する。

やなせさんは戦争を体験されていて、その戦争はどちらも「正義のため」という大義名分があって、正しさのために沢山の命が犠牲になりました。
そして、不義を打つという名目のもとに戦争をしていた日本は負け、すると一変、正義の理論があっけなくひっくり返り「正義はある日逆転する」という事を目撃・体験したことから『正義は信じがたく、不安定』だという言葉を述べられていました。

どちらにもそれぞれの「正義」があって、それを押し通したい・主張しようとする事で幸せから遠ざかるのかもしれません。

だって、正しくあるのは「幸せでありたい・笑顔で生きたい」からであって、正しさを追求して幸せでなかったら、それに固執してしんどくなるのは本末転倒だものね。

勿論、だからといって不義を行いたい・誰かを傷つけたり悲しませたり「世間一般のルール」を破っていいよ!ということではありませんし、私は出来るだけ「自分の中で決めている大事なことに対してはまっすぐでありたい」と思っています。

あの時は本当に悲しくてしんどかったし、沢山傷付いたし、今でもきっと心の傷は癒え切れていない部分があるとは思うけれど、正しさよりも幸せを感じたい!と気付けたことは、悲しみの中で学べた大きな収穫です。

私の正しさは、他の人にとっての正しさとは限らない事。
その逆に他の人の正義は私にとっては違う事があるのも仕方のない事。

文化や国によっても、正義は異なるように「違いがある事」を理解するだけでいいんですよね。

正しさを追求すると、自分を追い詰めてしまったり攻撃したり、同じように人に対しても「なんで?」と苛立ったり対立したくなったりしてしまいますものね。

正しくあることももちろん素敵な事だけれど、正しさよりも「優しさ」や「思いやり」を大事にしながら、自分にとっての幸せを感じている方がうーんと生きやすいと思っています。

まずは正しさに関する「ルールブック」をいっぱい持つ自分に、優しい目を向けてあげましょう。
あなたがこんなにたくさんのルールを持つことは、それだけ幸せになりたいからだね!って思いやりを持って接してあげましょう。

あなたの正義があなたを苦しめるならば、ほんのちょっとその正義を緩めてあげられますように。

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