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『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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「死」というものについては、やっぱりよく分からないけれど「肉体」は入れ物なんだなぁと思ったこと。

タオルケットの上に ふかふかのお布団して寝たんでちよねー

おっはよんぬー。よんぬー。よんぬー。(← 今日も大好き、ひとりやまびこ)

昨日は一気に冬のような寒さで縮こまってしまい、タオルケットの上に羽毛布団を解禁しました。

私は「ホカ子」と呼ばれていて「冷え性から3憶光年離れたホカホカの星の住人」。
基礎体温が高い事もあり、冷え知らずで過ごせています。
もちろん「寒い」とは感じますが、冷え性の妹や元・旦那さんなどが「冷えて辛い」という手足を触らせてもらうとビックリするくらい冷たくて、その逆に私はホカホカしてるので驚かれます。

そしてこの「ホカホカ」は、夏の間はすこぶる不人気。

ギンちゃんや仁くんは私にくっついて寝てくれなくなり、夏の間は距離を取られます。
冬は寒いし日が暮れるのも早いし、雪国に住んでいるので交通が乱れたりと望ましい季節ではないけれど、ギンちゃんや仁くんがピッタリとくっついて寝てくれるようになるので、寒い季節も悪くないなぁなんて思えています。

ミイラ展

唐突ですが、先週から新潟の美術館で「ミイラ展」が開催されていたので、行ってきました。

子供の頃「エジプトの秘宝展」みたいなものを見に連れて行ってもらい、そこで初めてツタンカーメンのミイラの話を知り、黄金のマスクやミイラを作る時に内臓を保存するためのカノポスという容器を見てすごく怖かったのが、ミイラを知った最初でした。

その後、学校の図書館でエジプトの歴史についての本を借りて読んだところ、ミイラは決して怖い目的で作られたのではなく、宗教的な意味合いだったり魂が還ってくる場所として大事な目的を持って作られているというのが分かり、怖さはだいぶ薄れました。

タオルケットの上に ふかふかのお布団して寝たんでちよねー

ミイラと言えば「エジプト」を連想してしまうのですが、逆に言えば他の文明・エリアにもミイラがあった事を知らなかったので、この展覧会で色々とミイラについて知ることになりました。

自由に入って記念撮影できたので 私も納まってみました

ミイラ展では「自然に出来たミイラ」と「人工的に作られたミイラ」の2種類があることが分かりました。

自然に出来たミイラというのは、気温や湿度などの条件がご遺体を分解・自然に返すことをせずにミイラ化させて残すことになった事で出来たもの。
先に乗せた写真の「ミイラ展」の看板の中央に、人の形をしたシルエットの写真が載っていますが、これは「自然に出来たミイラ」なのですが、まさかの『皮だけ』が残る形になったというミイラでした。

セミの抜け殻ではないですが、本当に脱皮して皮だけが残されたようなミイラだったのがものすごく衝撃だったのですが(子供時代に見たら強烈過ぎて寝れなかったかも)、どのような理由で湿地帯の中にご遺体が置かれたのかは分かりませんが、湿地帯で見つかったミイラなのだそう。
骨などの固いものがなぜなくなって皮だけになってしまったのか?と解説動画・説明書きを見たところ

土壌の性質で「酸性」が強いと皮膚などは溶けてなくなってしまうのに対し、「アルカリ性」が強いと皮膚は残って骨が溶けていくのだそう。

頭があまりよくないおまみーぬは「そ、そ、そ、そうなんだ…」としか理解できませんでしたが、ミイラなので乾燥してしまっている茶けた皮だけの人の形を見て、すごくすごく不思議な気持ちになりました。

自然に出来たミイラと言うのは、もちろん本人も周りも望んでそうしたわけではないので、学術的な意味があるのは分かるし、実際に私もこうやって展覧会を見に行っているのでチグハグな意見ではあるけれど、なんだか「見てはいけないもの」を見ているような重たい気持ちになりました。

インカ・マヤ・アステカなどの文明でも ミイラを作っていたようです

エジプトが有名ですが、インカ・マヤ・アステカの文明化でもミイラは沢山残されていてビックリしました。
エジプトでも棺は人の形を模したきらびやかなものでしたが、ペルーで発見されたミイラたちも、人の形を模した石棺や故人に似せた刺繍で描かれた布の袋に納められ、宗教的な意味もあって(魂がまた戻る場所として)埋葬されたミイラたち。

最愛の人が今世の命を全うした後、また会いたいと思うのはごくごく普通の感情ですし、文化や宗教などで「肉体から魂が抜けだした後でも、肉体を残しておけば魂がそこに帰ってこれる場所になる」として、ミイラを作ったというのは心情的にも分かるのですが、ミイラ展で一番衝撃を受けたのが

ミイラをお土産として売ったり買ったりする人が大勢いた

という事でした。

神秘的なもの、興味深いもの、オカルト的に恐ろしいもの、いろんな意味で人の興味を駆り立てる存在であることは間違いないのですが、あくまで「ご遺体」であるにもかかわらず、ミイラの一部を売り買いするという事が、とにかくビックリしました。

昔の人が「魂の還ってくる大事な場」として故人を思い、愛を込めてきっとミイラを作り祈りを捧げていた大切な人が荒らされてバラされて「売買」されるなんて、人間が一番怖い生き物なんだな、とすごくゾワゾワしました。

ミイラ展では43体のミイラが展示されていて、最新科学によって分かったことや分かりえる背景などを知ることが出来ましたが、どれもなんだか「人間だった」という事は分かるのですが、あくまで肉体と言うのは入れ物なんだなぁ、というのが全体を通して思った事でした。

当たり前ですが、生きているってそれだけで素晴らしいんですよね。
永遠の命のために肉体が朽ちないようにと人工的に肉体を残してミイラにしたとしても、やはりそれは「もう生きていない」人の形をした入れ物のようにしか見えず、生きているうちにこの体ごと楽しまなくちゃもったいない!と思いました。

買ったのにまだ読んでない本ですね。

私は子供の頃から「死」というものが怖く、今でもやっぱり怖いと思っています。

分からないから怖いというのが一番大きいのですが、ミイラ展を見て感じたのは数千年前から現在まで、様々な研究がなされたとしても『死』というものについては、未だ誰も解明できないという事。

肉体の死を持って全てが終わるのかも、魂というものがあって光に還っていくのかも、誰もが分からない事なんですよね。
ただ、生きている間に自分が何を信じ・どう捉えるかは自由で、いい・悪いではないと私は思っています。

人工的にミイラを残した過去の文明の背景を見ていたら、「また会いたい」「魂となって目に見えなくて自由にしていても、安全に還る場所を作っておきたい」という、大切な人への大きな思い・愛情・尊敬の念があったから、ご遺体を処理して肉体が朽ちないように残したんだと分かり、どの時代を通しても「愛する思い」という事が人間を動かすものなんだとも感じました。

エジプトのミイラ作りについて、動画で解説があったものを見た際に、古代エジプト人は亡くなったら「バー」と呼ばれる人の顔に鳥の体を持った「魂」のようなものとなって自由に飛び回り、夜になると肉体に戻ってくると信じられていたのでミイラを作っていたという事が紹介されていたのですが、その際に棺に故人に似せた絵を描いてバーがうっかり還る場所が分からなくなるようにした…というような解説を聞き

「バー」って相当うっかりさんだーー!!

と親近感を覚えたのは、私が肉体を持つ現時点から「相当のうっかりさん」だからの共感です。

▼バーについての解説

すごくカッコよくて 買うかどうかを逡巡した お土産コーナーの置物

展覧会会場には「お土産」コーナーもあり、エジプトやペルー(インカ帝国・アスカなど)をモチーフにした雑多な感じの商品陳列。

そこで見つけた「ネコの形」をした神様のモチーフ。
スックと凛々しく姿勢の良い美人さんで、どこかちょっとギンちゃんを思わせるので買うかどうかを散々迷いました。

買おうか迷っている私に対して、妹が「美千代がすでにいるでしょ?!美千代と仲良くやれるの?」という痛恨の一撃。

お。おぅ。
美千代と並ぶとしたら、美千代が焼きもちを焼くな…

と、よく分からない納得の仕方でそっとバステトを元の場所に戻しました。
その場の雰囲気と勢いで何か欲しくなる私の性癖。
でも写真を見返すと、美千代とも仲良くやれるんじゃない??なんてちょっと思ったりもしています。

話があっちこっちに飛びましたが、超絶当たり前過ぎる事ではありますが

生きているってそれだけでものすごい価値があって
生きているうちに「伝えたい言葉」「届けたい愛」を惜しみなく与えることが出来たらいいですよね。
どんなにお金をかけてミイラになって永遠の「肉体の形」を残しても、それはもう命を吹き返すことのない「入れ物のような存在」です。

あなたも私も、今日こうやって生きています。

それがどれだけ素晴らしい事かを毎日のように思う必要はないけれど、こういった展覧会を通して「知る」事が出来て、思い返すことが出来るって大事な時間ですね。

生きている、今日あなたがそこに居るって、もうとびきりにすごい価値があります。
何ものかにならなくてもいい、そう思えるって究極の自己肯定ですが、きっと「死」というものを深く考えたり身近に思う時に、当たり前の大事な事に気付くのが人間なのかもしれませんね。

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