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手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

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そうね、きっと「自分が自分で」なのよね

クリームは
みんなのものですよね!

今日は週に一度の「出社当番日」のため、半日ではありますが会社に行って仕事をしてきました。

私の職場では「昼休憩」の厳密な時間は決まっていなくて、個々に自由に1時間の休憩を取得できるので、お昼時間が何時からというのは決まっていないのですが、労働時間が1日8時間なので、4時間はちゃんと会社にいるようにしています。(← 何気にマジメ)

今日も4時間ちょいで切りのいいところで一旦終了し、家に戻ることにしました。

帰る時間はお昼を回っているので、昼休憩の時間を重ねて…と、帰り道からちょっとだけ逸れた場所にある「シャトレーゼ」に寄り道。

気になっていたロールケーキを買えました!

ちょっと前から「瀬戸内レモンフェア」をやっていて、これもお目当ての一つだったのですが、フェアから少し遅れて6月になってからの商品だったようで、気になっていたもののタイミングが合わず、ようやく出会えました。

仕事に集中しているので、なにやら脳を使っているのか夕方には一度「と、と、と、糖分…」とフラフラしてチョコなどを食べるのですが、今日はそうなる前の3時のおやつに美味しい糖分補給ができました。

でっ!!!

紅茶味のスポンジも美味しいのですが、クリームが甘いというよりも酸味が効いたチーズケーキみたいで、とってもおいしくてビックリ。
期間限定だと思うので、もう一度食べたいなぁ。来週も売っているかな??
販売期間がいつまでかは分からないのですが、来週の出社当番の帰り道に「ご褒美買い」するぞ!と、目の前のニンジンとしてぶら下げておこうと思っています。

* * *

ここのところ、仕事に追われていて「読書」に使う時間をあまり割くことができずにいました。

寝る前にKindleの読み放題サービスで借りている本を数ページ読むと、知らずに寝落ち…という感じでしたが、先週までの間に頑張ったおかげでほんの少しだけ見通しが立ってきたので、今日は久しぶりにゆっくりお風呂に入りながら読書ができました。

自分にとっての「好きな時間」を持つって、やっぱり大事ですね。

Kindleの読み放題サービスでは、新しい月になるタイミングで「フェア」が変わって、普段は有料だけれど今月だけ出版社が読み放題に対応する本をピックアップしていたりします。
毎月チェックして読みたい本を探すのも楽しみなのですが、今月は余裕がなかったので、チェックすら出来ずでした。

今月は「小学館のピックアップ書籍」という特集があり、その中にあった『茨木のり子さんの詩集』が気になって、早速借りてみました。
(他には脳科学者の中野信子さんの本も気になっています!)

永遠の詩02 茨木のり子』と題した本の表紙の言葉に、まずドキッとしませんか?

私が知っている茨木のり子さんの詩は「わたしが一番きれいだったとき」というもので、それも随分と昔に読んだのでうろ覚えでした。

茨木さんは、ちょうど乙女盛りの10代最後の年齢を戦争の中で過ごされています。
楽しい事を存分に楽しめる多感な少女から大人の女性への入り口にいる年代を、戦争というもので奪われたことを書いた詩ですが、改めて読み返してみて、とっても胸に刺さるものがありました。

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
                           ね
(茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」より一部引用)

茨木さんのように、戦時下で様々な事柄を我慢したり、大切な人をいともたやすく亡くしてしまう悲しみを体験はしていないけれど、種類は違っても、こんな風に「乙女時代」のことを振り返る人もおおいのではないでしょうか?

私は10代後半から20代前半は、それなりに楽しい時間ではありましたが、振り返って見ると「私の中の大事な数年間」がぽっかり穴が開いたように寂しくてふしあわせで、心がスースーしていた時期があります。

大失恋をした時もそうでしたし、結婚した後でまたとてつもないほどの「大失恋」となる離婚劇を繰り広げている時間も、私にとってはめっぽうさびしい時間でした。

その間は、きっときっと、「一番とは言わなくともきれいでいたかった日々」だったんです。

茨木さんとは土台や背景は全く違うものではあっても、私も「さみしい日々」を過ごしたからこそ、これからもっともっと「楽しくてしあわせだと思う日々」を紡いでいこうと、この詩を読んでより一層思えました。

他にもハッとさせられる言葉沢山並んでいたのですが、本の表紙にも書かれている『自分の感受性くらい』という詩も、自分に「やさしい喝」が入りました。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
(中略)
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
(中略)
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
(茨木のり子さんの詩「自分の感受性くらい」より一部引用)

勿論、外的な要因がその人を形成したり、心を委縮させたりと、外からの影響って無視できないものではあるけれど、自分の心を守ったり育てたりするのは『自分の役目』なんですよね。

と同時に、自分の心が傷付けられたらそれを手当てしてあげて、いらない意見は不採用にして捨てていくことで自分を守ることができるのも、他でもない自分自身なんですもんね。

誰かのせいで!と言う事で、自分を被害者の位置に置くことが必要な時間もあるかもしれないけれど、いつまでもそこにいても自分が幸せではないならば、勇気を持って「自分を被害者の位置」に置くことをやめることも大事な事。

親や祖父母や学校の先生や、友達や恋人や職場の人間関係やママ友…といった、周りの人に傷つけられた痛みは無視する必要はないけれど、その人たちのせいで生きづらくなったんだ!!と、ずっとその場に自分を置き続けることは、ずっとずっと自分が苦しいばっかりなんですよね。

確かに「あの人たちのせい」で私は傷ついた。自信を失った。勇気をくじかれた。自分を嫌いになってしまった。

だけれど、ここから自分を救い出すのも、また自分なんです。
自分にしかできないんです。

あの人たちのせい、という事実は事実として消さなくていいし、許すのなんてずっとずっと先でいいけれど、あのひとたちのせいという呪いに縛られて、自分を傷付いたままの場所に置くのではなく、

傷付いた分だけ大事にしてあげなくちゃね!
私はあの人たちが思うような「ダメ」な存在なんかじゃなくて、私が私の素敵を一番に理解できるようになってあげよう!!
傷は痛むし悔しいけれど、自分を救えるのは、私なんだもんね。

I am my hero.

私が私を救い出せる、素晴らしい存在です。
自分の大事な感受性や、自分の大事な心を守ってあげ続けようと、改めてハッと気づかせてもらいました。

傷付いた痛みには、優しい絆創膏を貼るように「辛かったね」「悔しかったね」「よく耐えてきたね!」と言ってあげてください。
そうやって分かってあげながら、同時に自分を幸せにしてあげるために、今の場所から少しずつ歩みを進めていくことができたらいいですもんね。

ではでは、唐突に終わりますが、おやすみなさーーーい。ムニャムニャ。

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