スピリチュアルを利用して(?)自分を大切に・甘やかしていいってことにしませんか?
今日は春を飛び越えて夏の暑さになる場所が多いとニュースで見た通り、私たち3魂が暮らす新潟市もホカホカの初夏の陽気に包まれました。
お天気がいいならば!と、在宅勤務なのを利用して、ギンちゃんや仁くんが使っている「モチモチクッション類」を洗濯機に放り込み、ピーッと音がしたらベランダに並べて、太陽の光でフカフカに干すことが出来ました。
冬の間はクッション類は乾かないので、汚れが気になる時にはコインランドリーで乾燥機にかけるしかないのですが、これからしばらくはベランダ干しで気軽に洗えるのが嬉しいな。
我が家は『日当たり良好物件』なので、朝日から夕陽までがまんべんなく3方向の窓から入ってくれるので、午後になると温室のようにホカホカになり、網戸にして風を入れて過ごしました。
まだ冷える日もあるので「こたつ布団」や「ファンヒーター」は出したままになっていますが、GWには全部を入れ替えしなくちゃね。
いよいよ冬仕様から本格的な夏に向けての準備の時期。あぁ、大好きな夏がそこまで来ていると思うだけで嬉しくなっちゃいます。
* * *
突然話は変わりますが、今日はずっと「バンビーノ」さんの『ダンソン フィーザキー トゥーザ ティーサーザ コンサ』が脳内再生されて、何かと『ニーブラ!!』とギンちゃんや仁くんにウザ絡みしました。
何の脈絡もなく何気なく頭の中に歌が流れてきてしまい、その日一日その歌が離れずエンドレスリピートすることってありませんか??
何でこの歌?
って脈絡が全くないのに、その歌が頭の中で流れ出したら、もうそれがずっと頭から離れなくなるアレって一体何なんでしょうね~。
…と思ってgoole先生に「歌 突然 頭から離れない」検索したら、『イヤーワーム』『ディラン効果』という名前の付いている現象だと知ってビックリ!
何かと「ダンソン…」と頭の中を駆け巡った一日でしたが、獲物をしとめた時の「ニーブラ」というセリフと共に流れる音楽。
あの音楽が気になって調べてみたら『神々の詩』という曲なのだそう。
「イヤーワーム」「ディラン効果」「神々の詩」などなど、日常では役に立たないけれど、「へーっ!そうなんだ!!」という小ネタを収集し、マミコはまた一つレベルアーーップ。
で、ここからものすごく強引に、「自分のことを大切にしましょう」という話に展開させていくのですが、自分のことを大事にすることを後回しにして生きてきた人は、いざ実際に『頑張ったら自分にご褒美をしてみようね!』『自分のために欲しいものを買ったり、やりたい事をしていいんだよ』と言われても戸惑うことってありますよね。
私は今でこそ「今日は出社当番で会社に行く日で”いつも以上に頑張る”ご褒美のご褒美は何にしよう?」というように、ちょっとしたことでも自分にご褒美をあげたり、自分が疲れていればしっかり休むことに罪悪感も感じずにゴロゴロできるようになりましたが、はじめのうちは居心地が悪いというか、自分を甘やかすことにピンとこない状態が続きました。
甘やかす ≠ ご褒美、であって、自分に優しい言葉をかけたり、自分の気持ちを分かってあげることも「自分を甘やかす」ための大事なこと。
でもそれも、やりなれないと『甘やかしてワガママになるのではないか?』なんて思考が出てきたりして、自分を緩ませることに関してはなぜか抵抗してしまいます。
自分に暖かい目を向けるために、私は講座などでも
自分の大親友に、そんなこと言うかな?
自分の恋人や家族に、そんなことするかな?
自分の憧れの人に、無理させるかな?
『その言葉を人に言えますか?』『その行動を他の人にもできますか?』ということをお伝えしているのですが、頭では理解できても、いざ実践…となると自分が自分の親友になろうと思っても、うまくできないことがあるかもしれません。
「甘やかそう」「ゆるませよう」と力が入ってしまうというか、向き合おうとして「うまくやれないなんてダメだな…私」って逆に自分を責めてしまうなんてこと、ないですか??
甘やかす・ゆるむって、力を入れて「頑張る」ことじゃないですよね。
文字通り「力が抜けて溶けている」ような感じで、
あはは、あはは、って笑っている力みのない感じ。
頭がお花畑で、なんか楽しそう。
という『少しアホっぽい』感じがイメージではないでしょうか?
アホっぽいというと言葉が悪いですが、あっけらかんと笑っていて楽しんでいる、箸が転んでも楽しいというか…。
先ほどの『ニーブラの曲』として使われている『神々の詩』から繋がっって思い付いたのですが、ちょっと頭のネジを飛ばして
スピリチュアルな視点を使って自分を甘やかす・自分にご褒美を許可する方法
というのをご紹介しちゃおうと思います!! ← ドヤ顔
もうね、スピっていうだけで「うわー、胡散臭いわぁ~」って思いません??
そのヤバい感じがいいんです!!
私はすごくスピリチュアルに通じている訳ではなく、いわゆる「ゆるスピ」で、スピなことにも興味があるけれど詳しくはない「なんちゃって」な位置でスピリチュアルに触れて楽しんでいます。
あくまでそんな「ゆるスピ」な私の視点での話なのですが、スピの世界では
私たち1人ひとりが「創造主」であり、神様のような存在だ
という話を聞いたことはないでしょうか?
あ?胡散臭い??
でも、スピの世界の本を読むと、「神」「宇宙」「サムシンググレート」などなど、表現こと違っていても言っていることは皆一緒。
なので「私たちはみんな神」ということらしいので、モンスターエンジンさんのネタを思い出して、自分のことを『わたしだ!』『暇を持て余した、神々の、遊び』というのをお手本に、自分を神だと認めちゃってください。
さぁ、あなたは「神」です。(あぁ、怪しくて最高!)
だとしたら、神様を喜ばせるために、お供え(ご褒美)しますよね??
神様が何かしてくれたり、自分のために頑張ってくれたら、心から感謝して「ありがとうございます」って伝えますよね?
神様のことは蔑ろになんてしませんし、少しでも快適に過ごしてもらいたいと、神様が喜ぶことをしてあげたいと思うのではないでしょうか?
あなたは、あなたという存在にずっと寄り添ってくれる神様なんです。
「神様」であるあなたが着る物は、清潔にしたいと思いますよね?
「神様」の体を傷つけるようなことをしようとは思はないはずですから、丁寧に自分の体をケアして整えることも必要です。
「神様」を散らかった場所にはお呼びできませんから、部屋だって綺麗にしてあげよう!と思いますよね。
自分へのおもてなしやご褒美、労りや感謝は、神様へお届けしているのと同じ。
だとしたら、ご褒美が悪いこと…なんて思わなくなりませんか?
むしろこの世に紛れ込んで人の姿をして頑張ってくれている神様に、お疲れさまでした!ぜひ召し上がってください!!と、自分が出来る範囲で奮発したくなっちゃうのではないでしょうか。
神様は愛ある存在ですから、あなたが思ったような反応を示せなくても「十分だよ、それでいいよ」ってあなたと共にいてくれます。
無理をさせようとはしませんから、あなたがやれる範囲で神様を喜ばせようとしてくれたら、それだけでとっても喜んでくれます。
そうそう!!
神社にはご神体として「鏡」が祀られています。
私が担当している仕事で神社の方とお話する機会があるのですが、禰宜の方から鏡について教えてもらったことがあります。
ご神体としての鏡は、太陽の光を反射させて輝く姿が太陽のように見えることから「天照大御神(アマテラスオオミカミ)」を現すものとして祀られているのだそう。
でも、それだけではなく神様を映し出すその鏡をのぞき込むとそこに写るのは『あなた』ですよね?
つまり、神様を移す道具に写るあなたは、神様だということ。
どんな姿も映し出されるので、自分の行動を自覚するように!という意味もあるそうですが、神様を見ようと思ってのぞき込んだ先に映し出されるのが自分の顔だなんて、スピな世界の話は面白いですね!
そして、「かがみ」から「我」を取り去ると、そこに残るのは「神」。
「我」を抜いて自分を見れば、それは「神」なんだよ!ということを鏡は映し出してくれるのだそうです。
ねっ!
スピにとどまらず、日本人になじみの深い神社でも「自分が神である」って教えてくれているのですから、神様に対してならば、うーーんと甘やかす…と言うと語弊がありますが、うーーーんと最優先していいですよね!!
ご褒美(お供え・おもてなし)上等!
お疲れならば休ませなくてはバチがあたります。
ほら、アジアの神様って「涅槃」のスタイルで横になられているじゃないですか?!
涅槃は厳密には悟りの状態ですが、でもね、平和で穏やかであろうよ!ってことですものね。
あぁ、やばいやばい。
神様に酷い言葉なんて言えないよね。
って、スピな観点を使って、自分に優しくしてあげられますように。
そもそも、このスピな視点を持つ時点で「怪し~」って笑って緩んで、モンスターエンジンさんのネタをイメージしながらちょっと頭のネジをゆるめて、ふざけながら自分に優しくしてあげてください。
人から甘やかしてもらったら、きっと笑顔になりますよね?
あなたを甘やかす際にも、真面目な顔でキリッと向き合うのではなく、BGMには「神々の詩」を流しながらゆるふざけして笑ってあげて、あなたをどんどんほぐしていってください。
だってね、きっとこうやって不完全さの中で不自由を楽しむこと自体が、神々の遊び、のはずだから。