痛みを知っているからこそ、あなたの背中を優しくさすりたいと思う。
コロナウイルスの流行で、今日はお家でおこもりの方も大勢いらっしゃると思います。
私はお出かけも好きですが、それと同じくらい「おこもりしてゴロゴロする」のも好きで、定期的に何もせずにゴロゴロ自堕落に過ごす日を設けています。
鉄の日(メタルデー)
と呼んでいるその日は、顔を洗ったり歯磨きしたりといった「衛生的」な事はOKですが、部屋着でメイクもせず外出せずにひたすらグータラ過ごすという厳しい「鉄の掟」を課した修行の日。
初めは「OLの休日」と呼んで、OLさんが普段頑張っているメイクやヘアアレンジ、綺麗に着飾って丁寧に暮らす事をOFFする日だったのですが、友達にこの話をしたらえらく気に入ってくれて、鉄の掟を次々に編み出し、いつの日からか「鉄の日」と名前を変えました。
鉄の日はカップ麺(オシャレじゃないデカ盛り1.5倍系のガツンとした味が理想)やレトルト・冷凍食品といったものを使って家事も手抜き。
スナック菓子などを寝そべって食べながら漫画や本を読んだり、ひたすら映画を見たりお昼寝をしたりして過ごします。
緊急の用事での外出以外は、一歩も外に出ません。
ベランダに洗濯物を干す以外は家から出ない日もあるくらい…
どうせ「おこもり」するしかないのなら、たまにはものすごーーく積極的に自堕落でグータラして過ごしてみる!というのも面白いかもしれません。
普段頑張っている人ほど、このグータラが上手くできなかったりしますから、そんな自分を発見したら優しく自分に微笑みかけて「私、毎日ほんっとうに頑張っているんだね。ありがとう。お疲れ様。」とご自身のことを労ってあげてくださいね!
さて、今日の私は3ヶ月に1度の「定期歯科検診」の予約日だったので午前中に歯医者さんへ行ってきました。
受付でまず体調について確認され、オデコにピッと体温計をかざされてから待合室へ。
コロナが流行りだしてから「医院」「病院」と名のつく場所に行っていなかったのですが、いつもとは違う流れにやっぱりみんな気をつけているんだな…と感じました。
歯医者さんでは歯周病のチェックや手磨きでは取れない汚れをクリーニングしてもらうのですが、幸い今のところ私は歯周病にはなっていないので今回も「大丈夫ですね!」の声をもらいニッコリ。
さらに今回は衛生士さんから「ハナマル」を貰えるほど上手にデンタルケアが継続できていたようで「すごいですよ〜!」と褒めてもらって嬉しかったです。
自分では出来ない機械を使った丁寧なクリーニングで細かい所までキレイにしてもらった後、時間がある時にサービスでお客様にやっているという「歯ぐきのマッサージ」というのも体験してきました。
足裏や頭、ボディのマッサージ体験はあるけれど歯ぐきをマッサージしてもらうのは人生初の体験!!
歯の付け根の部分を柔らかい指でムニュッと押されると、何とも言えない未体験の不思議な気持ちよさ。
どうやら血行促進と唾液の分泌を促す事で歯の再石灰化(と言っていたような気が…)につながるのでマッサージはオススメなのだそうです。
頬の奥を指で上下に動かされる動きもあったのですが、普段使っていない顔の筋肉が刺激される感じでリフトアップにも繋がりそうだったので、これはお風呂時間なんかにちょこっと真似して取り入れようと思いました。
歯医者さんから帰ってきた後は、お茶を飲んでお部屋でグータラタイムに突入。
過去にも紹介した事があるのですが『明日はきっといい日になる』(PHP研究所)という本をもう一度読み返したくなり、寝そべって読み返しました。
読み返したかった記事の一つが「渡辺 和子さん」が寄せられていた記事。
仁くんが言っている「お花の本」とは、シスターでもある渡辺 和子さんの著書でベストセラーになった『置かれた場所で咲きなさい』という本。
夫婦問題で真っ暗な谷底に突き落とされたような気分で暮らしていた頃に、職場の人が読んで良かった!と絶賛していて、読みたかったらどうぞ!と貸してくれて読んだ本でした。
悩みを抱えている自分も大切に。
悩みを抱えている自分を愛おしもう。
真っ暗で希望がなく、悩みしか抱えていなかった私はこの言葉に号泣したのを覚えています。
あの時は「悩みしかない私を愛おしめる」事はできていかなかったと思いますが、悩みだらけの私を見捨てるのではなく大切に愛おしんでいいんだ…と思ったらすごく泣けたのを思い出します。
今日読み返した『すべてのことに意味がある』という記事も、読んでいたらいつの間にか胸にくるものがあり涙がこぼれました。
渡辺 和子さんはずっとシスターとして神様にお仕えして生きてこられました。
それが50歳の時に多忙から少しずつ心が悲鳴をあげ、うつ病で入院するまでになられたそうです。
ずっと神様にお仕えすることを喜びとして、人を助け・励まし・支えて見守り、微笑みを持って接し、愛を与え続けてきたはずの渡辺さんが「神を恨みました」と書かれていることからも、うつ病で生きる力を失いかけた体験は、とても苦しく重たいものだったのだと思います。
本の中で、渡辺さんはこのように自分の辛かった体験について書かれていました。
しかし今になって思えば(中略)その経験が私には必要だったのだと。
心を病んだ学生たちが私のもとを訪れます。自分を責め、自分が悪いんだと思い込んでいる。
私は言います。「ちっとも恥ずかしいことじゃないのよ。人間というのは弱いものだから、自分ばかりを責めてはだめ。私だって心を病んで入院していたことがあるんだから」と。自分が経験したからこそ、その言葉に重みが出てくる。優しい気持ちが伝わる。そして「いつかきっと、今の経験が良かったと思える日が来るわよ。私のようにね」と言うと、皆救われたような表情になるのです。
人生には、思いもかけない穴があくことがあります。病気だったり、大きな失敗だったり、あるいは大切な人の死だったり。理不尽で辛いことがいっぱいある。
でも、穴があいてはじめて見えるものもあるのです。はじめて分かる他人の苦しみもあります。そしていつか、穴があいたことを感謝する日がきっとくる。私はそう信じています。
(明日はきっといい日になる / PHP研究所 / 渡辺 和子さん著)
本当に人生には思いもよらぬ「まさか」があったり、予想もつかない穴があくことがありますよね。
私もたくさんの「穴」に泣いてきましたし、自分の価値を分からずに苦しんだ時期もあります。
いっぱい傷ついて生きるのすらやめたくなる思いをしてものすごくもがいてきたからこそ、同じように希望が見えずに苦しんでいる人の背中をさすり、何もできなくても「理解してあげたい」と思えています。
できれば「穴」があかずに、当たり前のような日常を続けて行きたかったけれど、残念ながら私は大きすぎる程の穴を体験しないと見えなかった景色があったんだろうと思います。
苦しまずにいたかったし、ずっと順調で笑っていたかった。
未だに「あの絶望に感謝だわ!!」とは思えてはいないけれど、自分が体験したことは必要だったんだろうし、今の私が自分を愛せるようになったのも大きな問題があったからだとは思えるようにはなりました。
泣いているあなたは、弱さや寂しさを恥じることなんてしなくていいんです。
絶望して先に進めず立ち尽くしているあなたも、自分を責めなくていいんです。
どうすることも出来ない悲しみや寂しさの中で身動きできない時間は、ただそこで「耐えている」自分を許し、愛しんで、大切にしてあげるだけでいいんですものね。
辛いよね。寂しいよね。
どうしていいか分からなくて途方に暮れちゃうよね。
この気持ちから抜け出せるのかな?ってぐるぐると同じ事ばっかり考えちゃって苦しいよね。
私は愛されないと自分を否定してしまったり、傷が痛くて立ち上がれなかったりもするかもしれません。
自分を嫌いになってしまったり、愛を信じられなくなったり、生きていたくないとかんじたり、消えたくなったりしていても…
ちっとも恥ずかしい事なんかではなく、ただ「傷付いている」んです。
迷っていても、大好きな人と繋いだ手を放す事で孤独に苛まれていても、先が見えずに泣いていても、時間はかかってもそこから必ず微笑める日がやってきます。
また、笑える日はやってくるし、歩き出せる力も回復します。
ちょっと時間が必要かもしれないけれど、その時間はあなたにとってしんどいかもしれないけれど、でも本当に「大丈夫」だから。
大丈夫だと思えなかった私は、なんだかんだと死にたいと思って心療内科に通って4年を経て、今はちゃんと生きています。
しかも笑って、マイペースに、やんちゃに、自由に。
しかもちゃんと自分を愛せるようにまでなりました。
あなたの痛みや悲しみは、決して望ましいことではないし、その中にいる「今」は想像を絶する苦しみと向き合っていることでしょう。
その苦しさはあなたを打ちひしがれさせ、生きることすらしんどいものにしているかもしれません。
私は問題を解決するテクニックも力も持っていません。
私に出来ることはただあなたを抱きしめ、背をさすり、あなたの痛みが少しでも軽くなるようにとあなたを理解しようとする事だけです。
分かってもらえる、分かろうとしてもらえる、それがどれだけ孤独だった私には希望となり暖かく生きる力になったかを体験したからこそ、あなたにもそうできる私でいたい。
改めて今日、私は優しい気持ちであなたの話を聞ける私でいたいと思ったことをここに書きました。
今日も泣いているあなたが、ほんの少しだけでも笑顔になれる日がそう遠くない未来でありますように。