手のひらサイズの幸せのお友達

手のひらサイズの幸せ

『ペットロス・離別・失恋』サヨナラの痛みと哀しみを癒す心の保健室 ~あなたの傷に優しく絆創膏を貼るお手伝いをしています~

MENU

「思考優位」で自分を守ってきた健気な私へ ~罪悪感と仲良く生きるヒント~

急にすっごい ザーーーッってね 雨が降ってきたなの

あちこち「大雨」予報が出ていますが、今年の夏の終わりは『急で激しい雨』が多いですよね。

私たちが暮らす新潟市は、そこまで強い雨に見舞われることはなかったのですが、昨日の午前中に突然雨が降り出したと思ったら、ものすごく強い音と共に雨足が激しくなり、みるみる地面に水が溜まっていきました。

分かりにくいんですがベランダに4㎝位水が溜まり浸水するのか?とハラハラしました

私が暮らしているのは、マンションの4階なので「浸水への不安」はないものだと思っていたのですが、雨が激しく打ち付けるベランダを見たら

えーーっ?
3㎝位の高さまで水が溜まってる!!!

とビックリ。

ベランダは柵状ではなく、コンクリートのプール型とでもいうか、しっかり水が溜まる形状。

排水のため、ベランダの端っこにはゆるい傾斜が設定されていて、排水溝(排水パイプ)に向かって流れていくようになっているのですが、

排水溝がガブガブと音をさせながら、水を飲み込めずに半分くらい吐き出している

という状況にビックリ仰天。

排水しようとしている量よりも、流れていく水の量が多過ぎて、ベランダの水かさは少しずつ増していきました。

ベランダと室内までの高さの差は6~7㎝くらい。

このままの雨足があともう30分も続けば、ベランダに貯まった水で室内が浸水するのでは?と一気に不安になりました。

相変わらず排水溝はガブガブと音をさせながら、頑張って水を流そうとしていました。

頑張れ!
頑張ってくれ!!

強い雨と排水の状態をじーっと見つめる排水応援団のはっくん

室内まであと2㎝くらいという水の量になるまでは、本当にあっという間で30分もあったかないか。

このままの雨足だと本当に浸水する…

なすすべなく不安に思っていましたが、幸いにもこの後雨が緩やかになり、するとガブガブとした排水の音が「ゴフッゴフッ」という水を強くたくましく飲み込むような音に変わり、溜まっていた水が少しずつ引いて行きました。

ふーーー。
ギリセーフでした。

でも、正直短時間でこんなにも水って溜まるんだ…という思いと同時に、雨が過ぎ行くのを待つしかできないもどかしさと不安で、自然の脅威を前にすると何もできないんだというのをしみじみ実感しました。

まだしばらく、あちこちで強い雨の予報があるようなので、排水溝周りのゴミを取っておく等、出来る範囲で備えつつ、あとは雨が暴力的に強くならずに済んでくれるようにと願うばかりです。

* * *

いきなり話題が変わるのですが ← 安定のパティーンですが、何か?

皆さんご存じだと思いますが、私は心理学とかスピとか、引き寄せとかワンネスとか宇宙とか、そういう話が大好物♡

・心の持ち方で見える世界が変わる
・自分に優しくする
・自分の内側を整える

とか、そっち系の話、めっちゃ好き!!

で、これまで色んな情報や本に触れていたはずなのに、なぜか…

『エイブラハム』には、ほぼほぼ触れずに来たんですよね~。(なんでだろう?)

引き寄せ界隈では超・メジャーな、あのエイブラハム。

超・ザックリした説明ですが、エイブラハムは

見えない世界にいる教師たちの集合体

うふふ。一気にスピり出して、怪しくて、好き♡

エイブラハムは「教師たちの集合体」という言葉の通り、私たちを導き、本質を教えてくれる存在。

私、この手の話が好きだと思う…のに、なんでかどうしてか、エイブラハムに触れる機会がなく今日まで生きてきました。

で、最近Kindleの読み放題サービスで引き寄せ系の本で、エイブラハムが紹介されていたのですが、そこで、自分の内なる存在(魂)を現す『インナービーイング』という言葉に出会いました。

インナービーイングとは、常に無条件の「愛」としてあり続ける内なる存在

私は、エイブラハムの言葉に触れたのはこの時が初めてなので、超・にわかなのですが、このインナービーイングが自分の「罪悪感」に関連しているのでは??という気づきにつながりました。

* * *

ブログでも何度も言っている通り、私は筋金入りのバッキバッキの「自立女子」です。

私の自立とは

「自分のことは自分でできる!」
「ひとりでも生きていける!」

というような、キラキラした自立ではなく

傷ついたり、寂しかったり、怖かったりといった、「感じるとつらいもの」を、できるだけ感じないようにして、「考える」「思考優位」にすることで感情を押さえ、甘えず人に頼らず、自分で立つことをしようとしたという

依存を抑圧した自立です。

逆に言うと、思考を優位にして感情を切らないでいると、色んな感情を引き受けるというか、飲み込まれてしまうということでもあるんですけれど。

感じると、痛い。
感じると、苦しい。

だから、感じる機能ではなく「考える」を鍛えよう。

考えれば、感情を切り離せる。
考えれば、納得もできる。
考えれば、感情に飲み込まれなくてすむ…って。

そうやっていつしか、感じている感情に対しても「これってどういう気持ち?」「それはなぜ感じているの?」などと思考で理解しようとして、常に頭の中がおしゃべりでうるさくて疲れてしまうほどに『思考優位』で生きてきました。

でも、どんなに抑圧して感じないようにしても、思考で納得しようとしても、太刀打ちできないものがありました。

それが…

ざーーい、あーーーっく、カーーーーーン!!

私は「罪悪感」を何かと強く感じていて、自分を罰しなくてはいけない、このままでは幸せになってはいけないと無意識ではありますが、ブレーキを踏みまくるんです。

ん?
つまり、感じずに考えないようと努力して生きて来たはずなのに、罪悪「感」という感情を、めっちゃ感じているということじゃないですか。

* * *

思考優位で感情を押さえようと思っていたけれど、それは無理な話なんですよね。

感情は、勝手に湧くものだから。

「今感じている怒りや悲しみを、5分以内に消してください」と言われて、いくら思考して何とか気持ちを追い出そうとしても、無理ですもんね。

感情は、自分の思考でコントロールして「感じよう!」「感じるのをやめよう」って、自由自在に操れるものなんかじゃないんですものね。

心理学を知ることで、罪悪感は自分を幸せにしない感情だから、出来るだけ手放していく、自分を許してあげることが大切であることを『知識として理解』しても、これが簡単じゃないから困ってしまいます。

「罪悪感は感じなくていいんだよ」と、思考では分かっていても感じてしまう。

そしてさらに良くないことに…

罪悪感を感じる
  ↓
手放さなきゃ!
  ↓
まだ手放せないよ…
  ↓
私、やっぱりダメだ…
  ↓
手放す努力をしよう!
  ↓
出来ないーー。罪悪感感じるー。

ということをグルグルやり続けていて、

罪悪感に『罪悪感をトッピング』している

ということに気づきました。

罪悪感を手放せない自分は「ダメ」だって、さらなる罪の意識を重ねるなんて、罪悪感の二郎系なことをしてるなんて、ねぇ。

* * *

ここでさっき紹介した「エイブラハム」につながるのですが、本の中で紹介されていたインナービーイングは『常に無条件の愛』として内側にあり、

その愛(の波動)からズレることを知らせる警報として、罪悪感という嫌な感情がある

というようなことが書かれていました。

※エイブラハムについて詳しくないため、あくまで本を通して私が感じたことなので、「そんな単純な話じゃないよ」というところがあるかもしれませんが、暖かい目でお読みください。

本によると、エイブラハムは人間の感情をエネルギー(波動)の高さ順に1~22のスケールに分類し、インナービーイングとのズレを知るための測りとしています。

数字が大きくなるほど、いわゆる「負」の感情になっていきますが、数字が大きいほど「本来の自分から離れた低い波動だよ」という、自分の状態をしることができるのだそう。

そして「罪悪感」というのが、スケールの中で波動が低く最悪の気分に感じる下から2番目の「21」に位置していると書かれていました。

落胆、嫉妬、怖れ、不安、罪悪感といった、いわゆる「ネガティブ」で感じたくない感情は、感じたらダメなものではなく、

「今、私はちょっと、本来の自分の愛の感覚から逸れているよ」
「それは私の本質にとっては嫌なものだよね」

と、【自分の内側とのズレを教えてくれてくれるもの】だと書かれていました。

* * *

罪悪感は、自分を幸せから遠ざけるものだからこそ、手放す必要のあるものだと思って向き合い続けていました。

もちろん、罪悪感は自分を幸せにしない(罪人だから罰せられるべきと思わせる感情)なのだから、苦しいし、時に無実の罪なのに自分を罰している…なんてこともあるので、手放して解いていくのがいいのはその通りです。

私はどちらかというと、感じなくてもいいようなすごく小さなこと(気にしなくてもいいようなこと)にも、勝手に罪の意識を感じてしまい、それが生きづらいなぁ、と思っていました。

でも、感じるのを思考で何とか抑圧しようとしてきても、実際には歯が立たなくて、罪悪感に気付くたびに「手放さなきゃ!」ってもがくのも、自分を虐めているような、無理させているような、なんだかやるせない気持ちにもなって複雑でした。

手放すことに意識や力を向けても、手放せない自分にまたしても罪の意識を感じる負のループというか…

でも、嫌な感情や罪悪感は、愛という視点で見ると「私の持つ愛から離れていることを教えてくれる警報」だと捉えたら

罪悪感を強く感じるというのは、それだけ内なる愛に敏感なピュアな存在なのかも…って思えて、自分のことがなんだか少し愛おしく感じられました。

そして、罪悪感は重たくて苦しい嫌な感情です。
出来れば感じたくない感情だからこそ、感じたくなくて、痛みを抑えるために思考優位になっているのだとしたら、

自立して考えることで自分を守ろうとする、健気な自分の努力が、愛おしいじゃない!って思えました。

* * *

罪悪感=手放すべきもので、手放せなければ幸せになれないと、いつしか思考優位になって必死になっていました。

でも、エイブラハムのインナービーイングの話を読んで気付けました。

罪悪感そのものと、罪悪感を感じた自分を責めることは別なんじゃない?って。

嫌だな、イライラするな、不安だな…というのは「感じる」ことで、それ自体には「いい・悪い」はなく、ただわいてきたものです。

そこに対して、少し遅れて思考がやってきて、

「罪悪感を感じたままじゃダメ」
「早く手放さなきゃ」
「こんな自分は幸せになっちゃいけない」

と、自分の気持ちに「ダメ」っていう烙印を押して、手放せない自分はダメな存在だと、さらに追い込んでいたんですよね。

ただちょっと感じたものに、自分でどんどん重たいものを乗せているんだもの。
そりゃ、苦しくなりますよねー。(白目)

自立強め・思考優位になったのも、感じると苦しかったからなのだろうと思います。

嫌な気持ちになるのに、無力で小さい子どもの私は、役に立てない。何もできない。
その度にすごく苦しい気持ちになるのがイヤで、感じるより考えるようにしよう、って。

なんだか嫌だな~と思うような小さな違和感も、相手の気持ちも、自分の気持ちも、本当は「すごくしっかり感じていた」のに、

「考えて納得しよう」
「こうすべきだ」
「こう思えば傷つかない・傷付けない」

って、頭でグルグルいっぱい考えて、感じるのを避けて逃げて来たんです。

だって、感じるのは怖かったから。
感じるたびに、苦しかったから。

思考優位で生きよう!自立して感情を押さえよう!と思ったのは

感じ過ぎる自分がつらかったから、自分を守るためにそうするしかなかったのかもしれません。

思考優位になることで自分を守ろうとしたなんて。
んもーー、健気で泣けちゃうじゃないのよ、ねぇ。

* * *

エイブラハムの感情のスケールでも、数字が大きい感情はいわゆる「ネガティブ」で重たく嫌なものが並んでいます。

それは「内なる自分の愛」「自分が大切にしているもの」と離れていることを教えるためにも、重たくて嫌なものとして働いてくれています。

ネガティブな気持ちは、感じるのが辛いし、それに支配されると幸せとは言い難いからこそ、感じるたびに解いていくのがいいものではあるけれど、

嫌いにならなくても大丈夫なのかもしれません。
急いで手放せなくてもいいのかもしれません。

感じてしまうって、きっと素敵なことですものね。

自分がイヤな気持ちに寄りがちだからこそ、他の人の小さな痛みにも、分かるよって言えます。
他の人の悲しみや怒りが、どうして湧いているのかに気付けるんですものね。

どうせ勝手に思考が暴走して考えだすのであれば、その思考で感じ過ぎる自分を抑え込むのではなく、

罪悪感を含め、感じやすい私とどうやったら仲良くやっていけるか

を考える方に使えた方が、きっといいですよね。

これまでの私は、罪悪感という思い感情で苦しんでいる自分を見るたびに、思考を使って「手放さなきゃだめだよ!」「まだ手放せないの?」と、強めのまなざしを向けていました。

苦しんで泣いているいる自分に対して、「泣くな!」って怒鳴っているようなもの。

これじゃあ、傷が深くなりますし、自分がどんどん委縮しちゃいますよね。

* * *

インナービーイングは「常に無条件としてあり続ける愛の存在」として、内側に備わっているもの。

私自身は愛にあふれた存在ということなのだから、自分を責めたり、出来ない要求をぶつけるよりも、愛ある言葉をかけて自分に優しくしてあげたいですよね。

罪悪感をすぐに手放せない私なのだから、罪悪感を感じるたびに

私の愛のセンサー、今日も感度よすぎなぁ~い?

しょうがないよーーー。
だって愛のセンサーが感じちゃうんだもんね。
今すぐ罪悪感が消えなくても大丈夫よ。
しばらく、そっと一緒にいてあげようね。

って、自分に優しく言ってあげて、共存しつつもゆっくり手放す道を探してあげたいな、と思えました。

罪悪感を感じるって、ただ愛である自分の状態からズレていることを教えてくれているサインだから、感じてしまう自分を罰する必要はなく、この感情は自分を苦しませるからこそ、ゆっくり手放す方法を見つけて行こうねって、自分に言ってあげながら、道を見つけていく方が

自分に対してあったかいやり方

ですもんね。

* * *

なんか、ひたすら長くなってしまいましたが、言いたかったことを要約すると…

罪悪感を感じる自分と、仲良く一緒に生きていけたらいいよね

という一文にまとまるのに、今日もよくもまぁ、こねくり回しました!えへへ。

私たちの内側には、きっと「みっちりびっちりと愛が詰まっている」のでしょう。

そして、その愛と相いれないものや、愛が刺激された出来事に対して、ネガティブな感情が湧いてきて、それはやっぱりしばらくは重たく嫌なものとして、自分にまとわりついてしまいます。

そんな風に「愛情ビッチリ」な自分を、ギューッと抱きしめながら、ゆっくり自分が楽になる生き方を見つけて行きましょうね!

そして、自分を責める時間を少しずつ少なくしてあげて、自分に優しいまなざしを向けて、甘やかしてあげられるように…って、ちょうどいい講座があるんです!!(今日もステマ)

2026.09.16 オンラインセミナー(もう、十分すぎるほど頑張ってきた!変わらなくていい。そのままの自分を受け入れて、甘やかす)

・9/16(水)20:00~22:00
・zoomによるオンライン
・参加無料
・マミコ×根本裕幸さんの2部構成
・1週間の見逃し配信あり

ありがたいことに、たくさんの方にお申込みいただき感激しています。
席に数があり先着順となりますので、気になっているという方は、早目のお申し込みをいただくと安心です!

【9/16・無料・オンライン】根本裕幸さん&マミコ共催!自分責めをやめて「そのままの自分」を甘やかそう
【9/16・無料・オンライン】根本裕幸さん&マミコ共催!自分責めをやめて「そのままの自分」を甘やかそう
こーん、にーっち、わーーーっ! ← 錦鯉さんを憑依させて登場 キャワワな2魂が伝えてくれている通り、今日は皆さ.....
https://many-smiles.com/news/seminar-260916-01

お申込みはこちら

ではでは。
明日は金曜日。もう一息で週末がやってきますね!
お互いに息抜きしつつ、乗り切りましょう。

明日のあなたの手のひらに、小さな幸せが見つかりますように。

友だち追加